第5章 「昨日と明日の間で」(4)
BACK | TOP | HOME 所長室の中の光景に、私は自分の目を疑った。 なんと、犬槙さんと柏所長が、ぎゅっと目をつぶり、しっかりと抱き合っていたのだ。 どうも、お互いをかばい合おうとした麗しいシーンだったらしいのだけれど――あとで思い返すたびに、吐き気を催しそうになる。 そして、そのそばでセフィロトがひとり、静かに立っていた。 心持ち顎を持ち上げて、それはまるで、すずかけの木を地上から見上げているような姿勢だった。 金色の瞳は、まばゆいばかりに輝いている。 「チップの強制プログラムは、解除した」 唇からことばが漏れると、彼はゆっくりと頭を下げた。 そして、入り口に立ち尽くしていた私に気づいて、笑った。 片方の口角をゆがめるような、あの不器用な笑い方。――夫の樹の笑い方だった。 瞳の色が元の薄茶色に戻ると、セフィロトは二、三度まばたきをして、夢から覚めたような表情で、あたりを見渡した。 「ごめんなさい。もうだいじょうぶです」 少しかすれた、恥じ入るような声で言った。 「暴力禁忌プログラムを復元しました。デバッグも終了しました。柏所長、危険はもうありません」 「はああ」 柏所長は、くたびれたと言わんばかりの大声を上げると、床に大の字に寝そべった。 「さすがに、今日という今日は、悪運が尽きたかと思ったぜ」 「すみませんでした。柏所長、木田さん、せめて怪我の手当てをさせてください」 「誰がおまえなんかに」 木田は鼻を押さえながら怒ったように言ったが、その声にはかすかな笑いが含まれていた。 「そうそう、おまえなんかより、未亡人に手当てしてもらいたいものだ」 柏も愉快そうに、ことばを引き取る。 立ち上がる犬槙さんを助けようとしたとき、私はその顔に、眉間の険しい皺が刻まれたままなのに気づいた。 「セフィロト。さっき『ジョアンのチップ』と言ったな」 部屋はふたたび緊張に包まれる。 「はい」 「ジョアンが、きみに殺人指令のプログラムの入った改造チップを埋め込んだというのか」 「残念ですが、そのとおりです」 セフィロトは暗い表情で答えた。 「いったい、何のために」 「ローレル博士は、組織に息子を人質に取られて、脅されたのです」 シーダが懸命に弁解を始める。 「組織とは?」 「チャイニーズ・マフィア……」 「【ユエ・コンツェルン】か」 怪我をしているにもかかわらず、柏所長は敏捷に立ち上がり、めちゃくちゃに壊れた机の残骸の中から、インターコムを引っ張り出そうとした。 ふと、私の視界の端で、何かが動いた。 まだ今になっても銃口を降ろさない人が、この部屋にひとりいる。 逃げる暇もなく、私はその腕の中にからめとられていた。 「おい!」 「おっと、動くな。未亡人の頭を吹き飛ばされたくなかったら」 私を羽交い絞めにしたのは、柏所長の直属の部下、武藤栄作だった。 部屋中の誰もが、唖然として棒立ちになっている。 「まさか、おまえ……」 木田さんが信じられないという表情で、つぶやいた。「おまえが敵?」 彼は、片腕で私を恋人のように向かい合わせに抱きながら、銃口を後頭部に突きつけていた。そして、反対の手でもう一丁の光線銃を取り出すと、柏所長に向けて構えた。 「このロボットがうまくコトを処理してくれたら、俺は正体を現わさずに済んだんだがね」 いかにも残念そうに、彼は喉の奥で笑った。 「葬儀の席で、敬愛する上司の死を悼む部下を心ゆくまで演じたかったよ」 「武藤。おまえだったか」 柏所長は落ち着いた物腰で、身体をこちらに向けた。 「以前から、機密が漏れていると感じてたよ。絶対に内輪しか知らない情報が敵に渡っていた」 「それでも、最後まであんたの目を誤魔化しおおせたんだから、なかなかのものだろう?」 私は、なんとかして彼の腕から逃げ出そうともがいた。だが、ぴくりとも動けない。鏑木局長からも同じ目に会ったことはあるが、そのときと比べて力の差は歴然だった。 「くそう!」 木田さんは、血を吐くような叫びを上げる。 「武藤さん、あなたは……」 セフィロトが悲痛な声で言った。 「わたしたちはいっしょに協力して、任務を果たしてきたじゃありませんか。鏑木局長のコンピュータを調べたときだって、攻撃してきたロボットから、わたしたちを助けようとした」 「ああ、どうせコンピュータのデータはすべて消去済みとわかっていたからな。面倒な騒ぎなど、起こしたくはなかったんだ」 「柏所長のことを、信頼しているとおっしゃいました」 「……」 「あの言葉は、とてもウソだとは思えません。それとも、でまかせだったのですか?」 「……いいや」 私はおそるおそる武藤さんの顔を見上げた。その顔に笑いはない。 「俺が本当にこいつの部下だったらよかった、と思ったこともあったよ」 「それなら!」 セフィロトは両腕を広げて、柏所長との間に立ちふさがった。 「柏さんを殺すのは、あなたの望みではないはずです。違いますか?」 セフィロトは、迷いのないまっすぐな視線を武藤に叩きつけた。 「……俺は、組織に拾われて生きてきた人間だ」 「あなたが何をしたいか、何をしたくないかを訊ねているんです」 セフィロトは、自分が答えを出したばかりの問いを、彼に熱っぽく投げかけた。 「これは、俺の背負った業なんだよ。今さら変えられない」 「ロボットにできたことなら、もっと優れた存在である人間にできないはずはありません」 セフィロトは、心をこめて呼びかけた。 「武藤さん。わたしはあなたのことが好きです。あなたは、ロボットであるわたしにさえ、分け隔てなく接してくださった」 彼は、柏所長を狙っていた銃口を下げた。 「くそ」と口の中で罵りながら、私を腕に抱いたまま、扉に向かって後じさりを始めた。 「ちょっとでも動いてみろ。この女の頭をぶち抜く」 暗殺をあきらめ、私を人質にして逃げるつもりだ。 「セフィ!」 ドアをくぐって外に運び出されるとき、私はありったけの力で叫んだ。 「あなたなら、できる!」 立ち尽くしていたセフィロトは、私の言う意味を察して、すぐに追いかけてきた。 走りながら、彼は素早く計算していただろう。 相手と自分の相対速度。相手の脈拍。そして、腕に抱えている私が引きずられまいと抵抗する力。 そして、セフィロトは跳躍して、後ろから飛びかかった。 信じられない速さで、私の頭に当てられていた銃をもぎとり、そしてもう一方の銃を足蹴りで砕き、最後に肘を敵のみぞおちに叩き込んだ。 武藤さんは仰向けに床に叩きつけられ、数秒間息もできなかったらしく、やがてゴホゴホと苦しそうにあえいだ。 「やっぱり、おまえには敵わないな」 天井を見上げてつぶやいてから、意識を失った。その声には、どこか安堵したような響きがあった。 「胡桃!」 セフィロトは、床にうずくまっていた私を抱きしめた。 「無事でよかった」 回された手は、小刻みに震えている。 「あなたにもしものことがあったら、どうしようと思いました」 「絶対に助けてくれると信じていたもの」 「100%の絶対なんて、この世にありません。もし失敗したらと思うと……膝から力が抜けてしまいそうでした」 「セフィ」 犬槙さんたちが駆け寄ってくる足音がしたけれど、私たちはかまわず抱き合っていた。 「あなたは、冷たい計算で行動を決めている機械なんかじゃない。これだけ私のために震えて、動転してくれているじゃない」 「でも……」 「気づいてないの?」 私は、彼の額にキスした。 「アラタくんが言っていた。あなたはここを光線銃でまともに撃たれたことさえ、言われるまでわからなかったって。本当は痛覚プログラムがあるはずでしょう。普通ならとても痛かったはずなの。それほど、あなたはアラタくんを愛していたの。アラタくんのために、計算なんか吹き飛んでしまうほど、うろたえていたのよ」 国防省と科学省、そして国際コンツェルンを巻き込んだクーデタ計画は、秋のはじめには一応の終結を見た。 関係者は芋づる式に逮捕され、告発され、あるいは逃亡し、指名手配された。 もちろん部外者である私には、何も知らされていない。連日報道されるニュースを食い入るように見つめるだけだ。 犬槙さんも、科学省の関係者から何とか情報を得ようと努力したようだが、まったく取り付く島もなかったらしい。 一方セフィロトは、夏のあいだじゅう柏所長の部下として働いていた。 武藤さんの抜けた穴を、彼が埋めることになったのだ。忙しさのあまり、一週間ぶっつづけで家に帰ってこないときもあった。 そして、セフィロトの口からさえ、何も聞くことはできなかった。ジョアンや武藤さんの様子くらい教えてくれてもいいのに、と私が文句を言うと、「任務で知りえた情報は、絶対に口外しない規則ですから」の一点張り。 「どうして、こんなに融通がきかない性格に育っちゃったんだろう」 「胡桃がそう育てたんですよ」 本当は、セフィロトが何も言わないのは私への思いやりだったかもしれない。今度のことに関して、良い知らせは皆無だったからだ。 クーデタに連座した人間は、中心人物だけで十数人、末端まで含めると百人を超えるという。 その末端の関係者たちへの裁判は、異例の速さで進められていた。ジョアン・ローレル博士も、その被告の中のひとりだった。 『息子を人質に取られ、組織に脅迫されていたことを考慮しても、その卓越した技術をもって国家を転覆させようと企て、国内のロボットに対する信頼を失わせた罪は重い』 検察は、冒頭陳述でそう述べていた。 実際に、この事件の報道がきっかけで、日本だけではなく世界各地で、ロボットの排斥運動が起こる気配があるとも聞く。 暴力禁忌プログラムゆえに絶対に安全だと信じられていたロボットが、人間社会にとって脅威となるかもしれない。安心しきって暮らしていた人々の不安は、いったん火がつくとなかなか消えないものだ。 犬槙さんたちロボット工学者にとって、そしてロボットたちにとって、苦難の時代が到来するのかもしれない。 そうならないことを祈るのみだ。セフィロトのためにも。 花は散って、またその下から新芽がふくらむように、終わったと見えるものごとも、また新しい形を取って、ゆるやかに進み始める。 秋が深まりつつある頃、ジョアン・ローレル博士が収監されたことを知った犬槙博士は、シーダとともに面会に行った。 金髪を短く切り、化粧気のない肌でブルーの囚人服を着たジョアンは、それでも以前と変わらず美しかった。 「元気そうだな」 「おかげさまで。やっと夜ぐっすりと眠れるようになったわ」 犬槙博士とジョアンは、面会室の窓をはさんで、はにかみながら笑った。 「先週、アメリカでの国際会議のついでに、フィルに会ってきたよ」 「元気にしてた?」 「ああ、休暇になったら、すぐきみに会いに来るってさ」 「あの子……心の底では私を恨んでるでしょうね」 ジョアンは、憂いを含んだ笑顔をゆっくりと伏せた。 「私はもう少しで、あの子に一生軽蔑されるほどの、取り返しのつかない過ちを犯してしまうところだった」 「バカなことを言うなよ。フィルはきみに似て聡明な子だ。きみが組織の言いなりになっていたのは、彼のためだってことは、ちゃんと理解している」 「必死だったの。二度と失いたくなかったの。ダグを失って、私に残ったのはあの子だけだった」 ジョアンは涙を落としながら、狂おしく自分の両手を握りしめた。 「でも、そのかわりに私が捨てようとしたものは、あまりに大きすぎた。あの強制プログラムが発動したら、日本だけではなく、世界中が破滅の淵に向かっていたわ。今考えただけでも、自分の犯した罪に身体がすくむ」 「今、日米合同チームが、解除ワクチンを作ってる。まるで、この目的のために集まったかのようにね。セフィロトも協力してくれてる。これが完成すれば、たとえ、きみの造ったプログラムが何者かの手によってバラまかれても、もう平気だよ」 「不思議だわ。あのプログラムは、いったん発動したら、絶対に自分では解除できる構造ではなかったのに……。なぜセフィロトはそれができたのかしら」 「ジョアン、僕らの子どもたちは、もうとっくに僕らの想像をはるかに超えて成長しているんだよ。自律改革型の名にふさわしくね」 犬槙は笑いながら、シーダに振り向いた。 「今回一番のお手柄は、間違いなくシーダだよ」 シーダは、恥ずかしそうにうつむいた。「いえ、そんな……」 「ありがとう。シーダ」 ジョアンは睫毛にいっぱい涙をためたまま、微笑んだ。 「あなたが私を止めようとしてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからない」 「わたしは博士が大好きですから……博士があとで悲しむようなことは、して欲しくなかったのです」 「その口調、まるでセフィロトそっくりだわ」 ジョアンはひとしきり笑ったあと、ぽつりと言った。 「結局、私の負けね」 「なにを負けたというんだ?」 「私はロボットを、もう二度と人間のパートナーにすまいと思っていた。人間と心が通わすなんて、バカな絵空事だと思い込もうとしていたの。でも、わたしはやっぱり心のどこかで、ロボットがそういう存在になってくれることを願っていたんだわ」 「それが、当然のことなんだ。樹ときみと僕の三人は、その夢のためにロボット工学者になったんだから」 「ええ、そうだったわね」 ジョアンは、素直にこくりとうなずいた。 「ずっと騙していて、ごめんなさい。カイト」 「きみに嫌われていたんじゃなくて、ほっとしたよ。日本に来てからのきみは、とんでもなく僕に冷たかったからね」 「あなたに心を許すことが、こわかったのよ。際限なく頼ってしまいそうで」 ジョアンは、犬槙博士をまぶしげに見つめた。 「私が刑務所にいるあいだ、シーダのことをお願いするわ」 「ああ。助手ができて、僕は助かってる」 犬槙は、窓の空気穴を通して、ジョアンのほっそりした指先に触れた。 「なあ。きみがここから出られたら、シーダと三人で暮らさないか。フィルの了承も、もうもらってきた」 「え……?」 「つまりさ、きみさえよければだが」 眼鏡をはずして、コトリと置く。「結婚してくれないか」 「だって……」 当惑して、ジョアンが首を振る。 「私の刑期は、まだあと五年も……」 「模範囚で早く出てくれたら、ちょうどAR9型の完成披露と結婚式が一度にできると思うよ」 NEXT | TOP | HOME Copyright (c) 2003-2007 BUTAPENN. |