第7章 「憎しみの紋章」  (4)                 BACK | TOP |  HOME




 犬槙さんの研究室に飛び込んだとき、私は半狂乱だったと思う。
 そのときのことをよくは思い出せないが、支離滅裂なことを叫びながら、犬槙さんに腕をつかまれて乱暴に揺すぶられたことをうっすらと覚えている。
 泣きながらの説明も、筋道を立てた経緯には程遠く、細部は想像を交えるしかなかっただろう。
 何て私は弱い女なのかと、後になって我ながら愛想が尽きた。
「柏さんのところに……?」
 犬槙さんは、困惑しきったように頭をくしゃくしゃと掻き毟った。
「お願い、犬槙……さん、科学省に連絡を取って……。セフィを取り戻して」
 切れ切れに訴える私の背中をぽんと叩いて、犬槙さんは私を立たせた。
「柏さんのところなら安全だ。彼は味方だから」
「え?」
 何のことだかわからず、私はぽかんとした。
「それより、胡桃ちゃん、早く家に帰ったほうがいい。ここにいると危険だ」
 私はそのとき初めて、犬槙さんの表情に気づいた。自分のことで頭がいっぱいで、私は彼が非常な焦りと緊張の中にいることがわからなかったのだ。
「車まで送ろう。ひとりで運転できるな」
「え、ええ」
 そのまま、私の手を引っぱるようにして戸口に向かう。
 しかし、それ以上進めなくなった。
 私たちに立ちふさがるようにして、数人の男たちが乱入してきたからだ。
「くそっ」
 背中越しに、犬槙さんが口の中で小さく罵るのが聞こえた。
「犬槙博士。おそろいでどちらにお出かけかな」
 犬槙さんの陰からその声の主を覗き見て、あっと思った。
 セフィロトの面接審査をしたときの委員長だった監査官だ。その他の男たちも、やはりそのうちの何人かは科学省の徽章をつけていた。
「鏑木(かぶらぎ)局長。まさかあんたが」
 犬槙さんは、私を後ろ手でかばうようにして、一歩後退る。
「意外かね」
「そりゃあもう。姑息な手を使う小心者だと思っていたのに、大胆きわまりない行動に出てくれたからね。【テルマ】をハッキングしようとしたり、呉中博士を使ってうちの研究を探らせようとしたり」
「ふっふふ。口の減らない男だね」
「それが取り柄だって、レディたちはおっしゃってくださる」
「御託はいいから、さっさとAR8型と9型の設計図を寄こすんだ」
「何の話かな。AR型ロボットのプロジェクトは、もうとっくに中止してるんだが」
 私はもう少しで叫びそうになった。
 そう言えば、研究室の中には試作中のロボットも組み立て中のパーツも一切見当たらない。まるで真新しい部屋のように、塵一つ落ちていないのだ。
 そしてその次に、私は本当に叫んでしまった。
「じゃあ、これでどうかな」
 鏑木局長の手の中に、いつのまにか銃が握られていたからだ。


 まるでドラマのように現実味がない。
 まさか自分の鼻先に、本物の銃が突きつけられるのを見ることになるとは。
「僕は、あんたの時代錯誤の野望に、自分の研究を使わせるつもりはないんだよ」
 犬槙さんの吐き捨てるような強い調子に、やっとマヒしていた頭が働き始める。
「時代錯誤はそっちのほうだ。博士。自国の軍隊を持つことは侵略のためではなく、平和のためであることがわからないとは」
「ロボットの軍隊をでっちあげることが、平和のためだって?」
 おぼろげながら、次第に会話の意味が分かってきた。
「150年ものあいだ、わが国は他国の軍備に頼るという屈辱に甘んじてきた。アメリカとの安全保障条約が終結を迎えても、極東安保の名のもとに、中国の言いなりになるという屈辱。ようやく憲法9条の改憲にこぎつけたものの若者に銃を取る士気なく、亡国の危機に奮い立とうともしない。この現状を直視する目を、おまえら頭でっかちの科学者は持たんのか」
「だからって、人間そっくりのロボットの軍隊を作らせてクーデターを企て、日本を軍事独裁国家にしてしまおうなんて、とても正気の沙汰とは思えないね」
「祖国を救わんとする尊い志を今実行に移さねば、日本は三流国家に成り果ててしまうのだぞ。すでに今もう! だが、使命に殉ずる潔い若者の姿を目の当たりにすれば、続く者はきっと現われる」
「美談のために、ロボットを犠牲にしようって言うのか。そんな茶番に踊らされるくらいなら、三流国家として、よその国にこぞって守っていただいた方が、よっぽど幸せだと思うがね」
「黙れ! この売国奴!」
 狂気を含んだまなざしの男は、銃を振りかざした。
 思わず目をつぶると、数人の足音がばらばらとして、いつのまにか私と犬槙さんは引き離され、私は鏑木局長の腕の中で、銃口を突きつけられていた。
「こちらの要求を早く呑んでもらわぬと、この未亡人の命は保証できないぞ」
「どんなに尊い志か知らないけどな」
 犬槙さんは他の男たちに組み伏せられ、髪の毛をふり乱しながらも、今まで見たことのないような荒々しい形相で吼えた。
「女性を人質に取らなきゃ実現できねえような理想なんぞ、くそくらえだ!」
「凡人にはわからぬことだ」
「もし彼女のぴちぴちのお肌に傷一つつけてみろ、この犬槙魁人、地獄の釜の底に投げ落とされても口は割らねえぜ」
「それならそれで、かまわぬ。この女の家にいるAR8型を分解して、それと同じものを組み立てるまでだ」
「残念だな。セフィロトはもう安全なところに避難させてるよ。柏審議官のところにな」
「な、なにっ」
「つまりね。科学省と国防省の軍事クーデターの計画はとっくにばれてて、裏づけ捜査も済み、あんたらはもうすぐ一網打尽だってことさ」
「くそう!」
 逆上した男は、銃を犬槙さんに向かって構えた。
 私は彼らの会話が理解できず頭が働いていなかった分、ただその場の状況を観察するだけだった。
 そのため、考えるより先に手が動いたのだと思う。
 咄嗟に銃を両手で抱え込み、銃口を天井にそらそうとした。
 ものすごい閃光と衝撃。
 銃身を直接つかんでいた私は、その放電によるショックで、思わずへたへたと坐りこんだ。
「この、あま!」
 時代劇並みの古めかしい怒声を吐きながら、鏑木局長は私に向かって銃床を振り下ろした。
 手加減はしてくれたのだろう。目の前が真っ白になって、殴られたとき舌を噛んだのか口の中に血の味が広がったものの、意識は脳の後ろあたりにまだへばりついていた。
 乱闘の鈍い音が頭上で続いたかと思うと、私のそばに鏑木局長のからだがどさりと倒れた。
 誰かの腕が私のからだを抱きとめる。
「胡桃!」
「セフィ……?」
 私はぼんやりと顔を上げた。
「だいじょうぶですか?」
 興奮と不安にひきつった彼の顔。
 セフィ。
 よかった。戻ってきてくれたんだ。私と犬槙さんが危険なことを知って助けにきてくれたんだ。
「い……ぬま……」
 必死でもつれる舌を動かす。セフィロトは振り返った。
 犬槙さんも戦っていた。突然の闖入者にリーダーを倒され唖然としている男たちに、肘打ちを食らわせ、彼らの手から逃れようとしている。
 セフィロトの姿がかき消えたように見え、一瞬後には、犬槙さんをかばう位置に立っていた。
 私の意識がもうろうとしているせいではない。
 反応速度は成人男性の5倍。セフィロトの動きが早すぎて見えないのだ。
 私は誇らしくて、馬鹿みたいに微笑んでしまった。
 彼は私たちを助けてくれる。そして、私のそばにいてくれる。もう何も心配しなくていいんだよね。
 ずっと私たちはいっしょ。


 まばゆい光が部屋を満たした。
 男たちのひとりが放った銃の光線が、セフィロトの身体の真ん中を撃ちぬくのが、まるでストロボ撮影のように見えた。
 気がつけば、自分の喉があらん限りの声で悲鳴を上げている。
 誰か、これは夢だと言って。


 壁に上半身をぐったりと預けているセフィロトの元に、よろよろ歩み寄った。
 彼を撃った男たちは、突入してきた警察官たちに拘束され、鏑木局長をはじめとする負傷者たちも運ばれていった。
 部屋には、犬槙さんと私、そしてセフィロトの三人だけが残された。
「胡桃」
「セフィ」
「怪我は……ありませんか」
「私は平気」
 震える指で彼のシャツの前をはだける。赤い血は流れていない。ただ胸に醜く黒い痕が紋章のように、彼の人工皮膚をえぐっていた。
それを見て、声もなく身体を震わせて泣いている私に、彼は優しく微笑んだ。
「泣かないでください。わたしは大丈夫です」
「だって、ここは……あなたの人工知能がある大事な場所……なのに」
「全然痛くありませんから。痛みを感じると自分で思い込んでいるだけで、それはただのプログラムなのですから」
「そんな……」
「胡桃。あなたを愛していると思っていたのも、ただのプログラムなのです。機械のたわごとです。あなたが苦しむ必要なんか、初めからなかったのです」
「違う、私は……」
「迷惑ばかりかけていた。ごめんなさい、もう二度とあなたを泣かせたりしません……」
 彼は、目線をすっと上に上げた。
「犬槙博士」
「なんだ?」
「わたしをこのまま、廃棄処分にしてください。修理する必要はありません」
「おまえ……」
「製作者ご本人の前で言うことばではありませんが、……わたしは失敗作でしたよ」
 彼は力なく、くすくすと笑う。
「AR9型は、きちんと改良して作ってくださいね。失敗の連続が成功を生む、のですからね」
「セフィ!」
「胡桃。わたしは……、古洞博士に……なりたかった……。そしてあなたに……」
 もう一度、彼の瞳がなつかしげに私に焦点を合わせた。そして――。
 瞼が閉じられた。




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