Dream ドリーム



04



 集まったのは、五人だった。
 キングスレイ夫妻、ジェイ、シンシア、そしてラザフォード医師である。
「いったい、どういうことだ。先生まで呼びつけるとは」
 いらだちを見せる父親に、チェリルは答えた。
「すみません。けれど、どうしても先生に同席してもらわなければなりませんでした。僕が今から言うことが、決して気が狂ったからではないことを証明してもらうために」
「ジェイ」
 おびえた表情の母親から目をそらし、大きく呼吸した。
「僕は、ジェイ・キングスレイではありません」
 誰かが息を飲む音。
「チェリル・メイソンという女性です。だますつもりはありませんでした。自動車事故の後の昏睡から目覚めたとき、ジェイの体に入り込んでいたんです」
 父親が、あきれたという仕草で頭を振った。「馬鹿な」
「信じてもらえるとは思っていません。自分でも最初は、この状況を受け入れることができませんでした。でも、認めて受け入れたとき、ジェイでいることを利用しようと思いました。そして、ラザフォード先生に頼んで」
 白髪の医師に顔をめぐらす。「カナル街の本当の家族に、かなりの金額を毎週送金してもらっていました。こうしてジェイのふりをしてお金を送っている限り、家族が裕福に暮らせると思ったんです。ごめんなさい。借りたお金は、いつか必ず返しますから」
 頭を下げるが、誰も答えようとしない。
「いつのまにか、ジェイとして暮らすことがすっかり心地よくなっていました。同時に、今の立場をひどく重荷に感じて逃げ出したくなることも……もちろん、罪悪感を持つこともありました。ジェイを心から愛してくれるキングスレイご夫妻、そして、やさしくしてくれたシンシア」
 身が切られるような思いで、ぼう然としているシンシアのほうを見やった。
「……みんなをだましていることに、耐えられなくなってきました。どこかにいる、この体の本当の持ち主に、すべてを返さなければ。でも、ひとりではどうやっていいか、わかりません。みなさんの協力が必要です。だましていたことを赦してください。そして、本物のジェイが帰ってこられるような方法を、いっしょに考えてください」
 長い間、誰ひとりとして口を利く者はいなかった。助けを求めるように、時おり互いの顔に目を走らす。
――受け入れられるわけない。こんな話。
 自分の行動を後悔し始めたとき、ラザフォード医師が身じろぎした。
「ちょっと、よろしいでしょうか」
 彼は、椅子から均整のとれた長身を立ちあがらせた。
「わたしがジェイから、カナル街のメイスン一家に寄付を頼まれたのは本当です。ですが」
 芝居じみた沈黙をはさむ。「わたしは寄付はしていません」
「え?」
「なぜなら、メイスン一家は、実在している家族ではなかったからです」
 チェリルは、うめき声を上げて立ち上がった。「うそ!」
「いくら探しても、メイスンという名の家族はカナル街に住んだことがなく、チェリル・メイスンという少女も存在しません。百年前の過去の記録までさかのぼっても、同じでした」
 彼女は、がっくりと椅子に座りこんだ。「まさか……存在しない、なんて」
「黙っていてすまなかった。ジェイ。けれど、それを正したところで、あのときのきみには理解できなかっただろう」
「どう……して」
「チェリルは、きみが頭の中で作り上げた人格だったからだよ、きみの空想の産物だったんだ」
 ラザフォード医師は、いつくしみをこめて見つめた。
「本当は頭の片隅でわかっていたはずだ。この半年間、その気になれば、カナル街を訪れるチャンスは幾度もあったはず。だが、きみは無意識に真実を知ることを恐れて、そうしなかった」
 患者が無言の殻に閉じこもってしまったので、医師は部屋をゆっくりと見回して、居合わせた人々全員に語りかけた。
「ジェイは、不幸な交通事故のあと、三ヶ月ものあいだ昏迷状態にいました。しばしば彼は、うわごとを言っていました。幼い弟を叱ったり、飲んだくれの父親と口論したり、店で何かを売ったり……。何の夢を見ているのだろうと不思議に思いました」
 ラザフォード医師は息を継いだ。
「目覚めたときにジェイがしきりに気にかけていたのは、メイスン一家のことでした。わたしは彼から寄付を預かり、一家が実在しないとわかってからも続けてカナル街を調べていました。そこで、驚くべきことを発見した。ジェイが、カナル街にしばしば足を運んでいたという事実です」
 彼は持っていた書類ばさみから、一枚の書類を取り出した。自動車の駐車違反のキップの写しだ。ジェイのサインがある。
「警察に知り合いがいましてね」と、肩をすくめる。「調べてもらいました。ジェイが事故に会う三日前に、カナル街の路上で切られた違反キップです。そういえば、あのダウンタウンでの自動車事故も、カナル街から自宅に帰る途中で起きたと考えれば、つじつまが合います」
「なぜ?」
 キングスレイ氏は、片手で前髪を掻きむしった。「なぜ、ジェイはそんなことを?」
「憶測にすぎませんが、ご子息は、あなたの会社の再開発計画にひそかに反対だったのではないでしょうか」
 人々の視線が、一斉にひとりに注がれる。
 その口から、低い、くぐもった声が漏れた。「あんなもの……つぶれてしまえばよかったんだ」
 医師はいたわりをこめた視線を注ぐと、続けた。
「ジェイは義憤からか、あるいは持てる者の負い目から、あるいは親への反発心からか、再開発地区の貧しい人々の生活に、ひとかたならぬ関心をいだいた。暇を見つけては、あちこちの店を覗き、路上で遊ぶ子どもたちを観察し、男たちや女たちを観察した。そして――」
 医師は天井を見上げた。「いつしか、飲んだくれの父とたくさんの弟妹を持つ、けなげに働く少女の虚像を心に住まわせた。事故のショックで昏睡したときに、誤って、そちらを『本物の自分』として受け入れてしまったのでしょう」
「そんなことがありうるのか」
「普通なら、ありえません。自分という確固たる核を持っている人間なら、夢と現実を混同することはないのです。けれど、痴ほう症の老人やジェイのような記憶喪失症患者の中には、しばしば夢を現実として信じ込んでしまうケースがあります」
「これから、ジェイはどうなるのですか」
 茫然と座り込んでいる婚約者の手を握っていたシンシアが、すがるような眼で医師を見る。
 ラザフォードは安心させるようにうなずいた。
「今の彼は、真実を受け入れる準備ができたのだと思います。虚像は崩れた。ジェイはもう一度、本物の自分を取り戻す戦いを始めなければなりません」


***

 ゆっくりと、部屋のドアノブを回す。
 暗い室内を見回し、まっすぐに机に歩み寄った。いくつか引き出しを開けたあと、目指すものを見つけた。
 ひもで綴り合わされた、ルーズリーフの束。
 椅子に腰を落とし、ランプもつけず、表紙をめくる。明かりは必要なかった。暗記するほど何度も書き直したものだから。

 『あの地区に住んでいる人々は、子だくさんで貧しい。
 けれど、家族はいつも、抱き合って、キスしている。
 笑いながら、ケンカしながら、歌いながら、にぎやかに暮らしている。
 全部、僕が持っていないものばかりだ。
 もし、そんな人生が送れたら、人は幸せになれるのだろうか。

 いつしか僕は、『僕の対極にある存在』というものを思い描いてみることが習慣になっていた。

 僕は男だから、主人公は女がいい。
 貧しいけれど、心は満ち足りた生活。
 父親は職を持たず、一日ぶらぶらと家にいる。
 母親の過度の干渉はない。小さいときに死んでしまったから。
 彼女を頼り切っている、たくさんの弟や妹がいる。
 学校には行かず、家族のために働いている。

 前向きに、何にも縛られず、自分を偽らず、太陽のように人々を照らして生きている。
 僕と対極の存在。

 名前は仮に――チェリル・メイスンとしておく。
 チェリルは、あのカナル街をいつも駆け抜けている。
 風のように、自由に。

 もし神がひとつだけ願いを聞いてくれるとしたら。
 ――僕は生まれ変わって、チェリルのようになりたい。』



 少年は、紙の束を抱きしめて、すすり泣いた。
 チェリルは、彼の空想の中の登場人物だったのだ。
 少年はいつも、自分が嫌いだった。
 自分を消してしまいたかった。
 そして、あこがれていた。チェリルのように自由に、正直に、人を愛して生きられる人生を。

 少年は、顔を上げ、涙をぬぐった。
「さようなら、チェリル」
 引き出しの奥深く、紙束をしまいこむと、立ち上がった。
 扉のところに、金髪の少女がたたずんで、彼を待っている。
 少年は、口元に笑みを浮かべた。

 ジェイ・キングスレイは、自分の足で新しい一歩を踏み出した。



                       了

  恵陽さま主催企画「Other's plot plan」( 2019年3月閉鎖)
に提出した自プロット作品です。