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The Chronicles of Thitos ティトス戦記
外伝 Episode 2
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§1に戻る §2 街道沿いのパロスの町には、比較的早く、夕暮れ前には到着した。 パロスはサルデス中部地方最大の城塞都市である。 堅固な城壁は攻撃された形跡もなく、門の前はサルデス軍の警備も厳重で、町の中は平和そのものだった。 だが、この町を過ぎるとすぐ北は魔王軍との緩衝地帯で、いつ何が起こるかわからない緊張感はここかしこに漂っている。 年若き勇者アシュレイ一行は、門の前ではサルデス兵の最敬礼をもって迎えられ、広場に入ると町長ら町の主だった長老たちの出迎えが待ち構えていた。 人々の歓呼の声が沸きあがる。 「へええ。勇者ってのはすっげえ有名人なんだな」 リュートが感心したように、あたりを見渡す。 町長は一夜のもてなしの栄誉を請い、アシュレイたちはその申し出をありがたく受け入れることにした。 町長の邸宅に向かって歩き始めた彼らに、リュートは後ろから声をかけた。 「俺はここで失礼するよ」 「え?」 3人は心なしか、顔を輝かせて振り向いた。 「町長の家なんて窮屈そうだし、俺よく食うから迷惑かけても悪いしな。これからも、町や村の中では別行動ってことにしとこうぜ」 「これからもって、おまえな」 「じゃあ、今晩はどうするんだ、リュート?」 「さあ、腹が減ったからとりあえずは酒場でめしでも食って……」 「まだ食べるのか……」 「夜は適当に、街で声をかけた女のところにでもしけこむさ。明日の朝、入り口の門で会おうぜ。じゃあな」 「ち、ちょっと待て。おまえ」 ギュスターヴは猛然と駆け戻ると、彼の腕を引っぱった。 「少し話がある。こっちへ来い」 人影のない裏通りに入ると、ギュスターヴはぐいとリュートのレザーアーマーの胸倉をつかんで、壁に押し付けた。 もっとも、彼よりずっと屈強な戦士を魔導士ふぜいが押しただけだ。どちらかと言えば、その気迫にリュートの方から下がってくれたというのが正しい。 「何だよ」 「おまえな。アッシュとアローテの前であんな汚いセリフを言うな」 「汚い?」 「おまえが夜どこへ行こうが、誰と何をしようが俺たちの知ったことじゃない。でもあの2人はまだ子どもなんだ。おまけにアシュレイは王族として育てられ、アローテだってこの間まで 村から出たこともなかったんだ。そんなあいつらの前で、女としけこむ、だなんて汚い話はよせ。 あいつらがどんなびっくりした顔をしていたか、おまえ見たか?」 リュートは顔をそむけて、金色の睫毛を伏せた。 「……俺のしてることは、汚いことか?」 「え?」 心臓がどくりと鳴った。 「俺には物心ついてからずっと、自分の帰る家ってものがなかった。ずっと何年も旅をして町や村を渡り歩いてる。宿屋なんて上等なものには泊まったことがねえ。野宿するか、町で知り合った女のところに泊めてもらう。 15のときからずっとそうしてきた。 自分ではそうは思ってなかったが、これってやっぱり汚いことなのか?」 淋しげに煙る青い瞳でじっと自分の手を見つめる彼に、ギュスターヴは何と答えてよいかわからなかった。 悪いことを言ってしまったという罪の意識が黒雲のように湧き上がってくる。 「リュート、俺……」 「そうか!」 突然、リュートは大声をあげた。 「女のところに行ったってことは内緒にすりゃいいんだ!」 「へっ?」 「ギュス、ふたりに言っといてくれ。さっきのはほんの軽い冗談で、俺はちゃんと宿屋に泊まることにしたって。じゃ、よろしくな!」 手を振って走り去るリュートの後姿を見送りながら、ギュスターヴは壁に寄りかかり、かろうじて身体を支えた。 「俺、頭が変になりそう……」 翌朝、町長の家を辞した3人を、約束どおり町の門でリュートが待ち受けていた。 彼らはふたたび、北を目指して進み始める。 もうここからはどんな魔族の大軍がひそんでいるかわからない。戦慄が彼らの胸をよぎる。 リュート以外は。 「ふわあ」 リュートは馬上で何度も大あくびをしていた。 「眠れなかったの、リュート?」 「いやあ、女が夕べ寝かしてくれなくて、……つまり、あの、宿屋のベッドが固くてさ」 「まあ、災難だったわね」 アローテは気の毒そうに、眉をひそめた。 リュートは馬を最後尾のギュスターヴのそばに寄せて、ささやいた。 「アローテって、よく見るとすげえ別嬪だな。色気はまだ全然ないけど」 ギュスターヴの脳みその中で、何かがぱちんと弾けた。ものすごい形相でにらみつけると、 「あ、おめえやっぱり、アローテに惚れてるな」 横目でにやにやと笑いかける。 「心配すんな。俺は人の女には手を出さねえ主義なんだ。昔それでひでえ目に会ったことがあっからな。……その話聞きてえか?」 「そんなこと、話さんでいい!」 その日は結局、魔王軍には一度も出くわさず、途中で立ち寄ったいくつかの村でも、まだ今年は魔物の襲撃を受けていないと話してくれた。 日の暮れたところに手ごろな村がなかったので、彼らは森に入って、この旅初めての野宿をすることにした。 「リュート、こっちに来て、いっしょに食べないか?」 アシュレイは火に枯れ枝をくべながら、少し離れた木に背中を預けて携帯食を頬張っている剣士に声をかけた。 「あ、いいよ。俺、自分の分の食い物は自分で用意してるから」 「じゃあ、せめて火のそばに来いよ。この季節はまだ、森の夜は冷える」 「アッシュ。あんなやつに優しいことばをかけるなよ」 ギュスターヴは聞こえよがしに文句を言う。 リュートは素直に誘いに応じ、たき火の近くに胡坐をかいて座った。 「そうだな。ここは俺の国よりずっと寒いみてえだな」 「確かにサキニ大陸は、ここよりずっと南だからな」 「あっちはここと反対で、冬になると魔物の数が増えるんだ。きっと寒さに耐えかねて、渡り鳥みてえに移動してくるんだろうな」 たき火の紅い光に照らし出されたリュートは、昼間にまして美しく見えた。金色の長い髪が輝いて、炎の作り出す陰影に沈む日に焼けた顔を、星のように彩っている。 横にいるアローテが彼をうっとりと眺めていることに気づき、ギュスターヴはまた、はらわたが煮えくり返るのを感じた。 もし、リュートが本気でアローテに目をつけていたら、俺は彼女を守れるだろうか。 「おまえさ。何でこのエルド大陸に渡ってきたんだ?」 自分でもそれと知らぬうちに、挑発的な口調になる。 「何でって、勇者さまに会いてえと思ったからさ」 「なぜ」 「んーと、……勇者って世界で一番強い男だろ? そいつと戦ってみてえ。戦って自分の力を試したい。そう思ったんだ」 「それなら、もう戦って試したろう? もう十分だろう? 何も俺たちについてくる必要はない。またしばらくして挑戦にくれば済むだけの話だ」 「ねえ、ギュスったら……」 アローテが彼のローブの袖を引っぱる。 「俺たちは忙しいんだ。この旅は遊びじゃない。出会った魔物を倒して、金目のものをふんだくってるおまえとは訳が違うんだよ!」 リュートは険しい目でじっと彼を見返した。 「俺は遊びでやってるわけじゃねえ」 「遊びと言って悪ければ、いったい何の資格があって、勇者の仲間になろうとする?」 「資格?」 「アシュレイは、神から勇者の証としての剣を拝領して、サルデス王の認証を受け、国王名代としての権威を与えられたんだ。こいつの双肩には、世界中の人々の平和への期待がのしかかっている。 俺とアローテはその勇者を助けるため、テアテラ国王の命を帯びてこうして共に旅をしている。 じゃあ、おまえはいったい誰の命令でここにいるんだ?」 「……」 「俺たちとおまえなんかでは、背負っているものが全然違うんだよ!」 「俺には資格とか国王の権威とか、さっぱりわからねえけど……」 リュートは悔しそうに声を荒げた。 「なんとか王様、の言うことだけが正しくて、ほかは全部間違ってるのか? 王様は絶対に間違わねえのか?」 「なに?」 「だいたい神さまって絶対に間違わねえのか?」 「おまえ、よくもそんなことを!」 ギュスターヴが殴りかかろうとするのを、アシュレイが止めた。 「やめろ! ギュスターヴ」 その声には確かに、人を従わせる威厳があった。 「わかったよ」 リュートは立ち上がり、脚から土ぼこりをはらった。 「俺は嫌われてるみてえだな。もういっしょに行くのはやめる」 「リュート……」 彼は木の根元に置いていた袋と大剣を背負うと、「世話になったな」と言い残して、木立を抜けて去っていった。 ギュスターヴは虚脱状態に陥り、地面に尻餅をついた。 「ギュス! あんなひどい言い方をしなくても」 アローテが抗議する。 「あいつは神を否定したんだぞ。あの野蛮人め! どうしてあんな奴と神のしもべである勇者とがいっしょに旅をできる?」 「神を否定したんじゃないわ。ただ素直に疑問をぶつけただけじゃないの。子どものように純粋に」 彼がリュートを罵れば罵るほど、アローテは彼の味方についてしまう。 ギュスターヴは自分がみじめでならなかった。 まるで、彼女のことが好きでたまらないのに、つい意地悪をして泣かしてしまう子どものころのように。 その夜、彼は夢を見た。昔の夢だった。 「長老殿。もう私はこの子は教えられませぬ」 「どうしたのじゃ、いったい」 「この子は、神は本当にいるのかなどと申したのですぞ。私の忍耐にも限度があります!」 「ほう……」 「神を否定する魔導士は、やがて魔の力におぼれ、人ならぬものに堕ちると申します。私はこの子の魔法力がおそろしい。 一刻も早く、この村から追放なさるがよろしかろう」 激昂した教師が立ち去ったあと、長老は泣きじゃくっている彼を優しく膝の上に抱き上げた。 「のう、ギュスよ。どうしてそのようなことを申したのじゃ?」 「だって……。本当に神さまがいるなら、どうして世界中の人々はこんなに戦争で苦しんでいるの?」 「ほう」 「俺の親だって、魔物に殺されたんだ。どうして神さまはそんな悪い奴らを放っておくの?」 「おまえはいい子じゃな。ギュスよ。そうした疑問を素直に口にすることのできる子どもは、素直な良い子じゃ。大人に媚びず、権威に媚びずな」 「……じいちゃん」 「大人になると、人間は二通りに分かれるようになる。片方は権威に媚びて、むずかしい疑問の答えを得ぬまま心のうちに押し込めてしまう者。 もう一方は神に質問し続けて、その答えを得る者。 ギュスよ。おまえは、どちらの大人になるのかのう」 重苦しいものを内に抱え、口数の少ないままの朝の旅立ち。 出発の支度をととのえた3人は、森の出口まで来てあっと叫んだ。 馬のたてがみを撫でながらわざと知らん顔をしているリュートが、そこに立っていたのだ。 「リュート!」 アシュレイが心底うれしそうな声を上げた。 「待っててくれたのか。ゆうべはもう行ってしまったのかと思っていた」 「勘違いするな」 ふてくされた口調でリュートは答えた。 「おめえらといっしょに行くわけじゃねえ。ただ、 アローテは、ぷっと吹き出した。 「それでもいいわ。さあ、行きましょう」 北へと街道をのぼる途中も、リュートは遥かに離れた後ろからついてきた。 3人がときおり振り向くと、怒られた子犬のような瞳をして、じっとこちらを見つめている。 「なあ、ギュスターヴ」 アシュレイは困り果てたように微笑んだ。 「きみが何かひとこと言ってやらないと、彼はずっとこの調子だぞ」 「いやだ、絶っっ対にこちらから折れたりはせんぞ」 「弱ったなあ……」 「リュートとギュスって、何だかとても似ているのよね」 アローテはただただ楽しそうに笑っている。 「失敬な! あんなのと俺をいっしょにするな!」 「僕もそう思うな。気が合うからいちいち腹が立つんだよ」 「腹なんて立てた覚えはない!」 「それなら、いっしょに行くように説得してくれないか。彼は自分からは声をかけられないんだよ」 「しょうがないなあ」 ギュスターヴは口の中でぶつぶつ文句を垂れながら、馬の鼻面を来た方に戻した。「こっちのほうが大人なんだってことを見せてやるか」 その途端、ぎょっとして大声をあげた。 「リュート! どうしたんだ?」 長身の剣士は、馬の背で身体を海老のように折り曲げている。たてがみをつかむ手は遠目にもこわばり、表情は虚ろだ。 「アローテ! 回復魔法だ」 アシュレイを先頭に、3人は馬で走り寄った。 近づいたときには、リュートはすでに背筋を伸ばし、目を閉じてほうっと長い吐息をついていた。「だいじょうぶだ」 「いったい、どうしたんだ?」 「奴らがいる。それも五百や六百じゃねえ。下手すると、千匹以上」 「千もの魔王軍!」 アローテが悲鳴をあげた。「い、いったいどこに」 「街道沿いにこのまま進んで、3キロくらい。大きな町の中だ」 「ラクティの町だ!」 「それだけじゃねえ。その中に一匹、とんでもなく強え奴がいる。敵の親玉、魔将軍て奴だと思う」 「魔将軍が……」 「千の大軍」 アシュレイは放心してつぶやいた。 それだけの数を相手に、彼は戦ったことがない。たった4人で千の大軍に勝てるものなのか? 「アッシュ、引き返そう」 ギュスターヴがせいいっぱいの冷静を装う。「パロスの町まで戻って、援軍を請おう」 「馬鹿ぬかせ! そんなの待ってられるか」 リュートはかっと目を見開いて怒鳴った。 「これ以上ぐずぐずしてたら、もっと多くの人間が死ぬんだぞ」 「……もう町の人はおおぜい殺されたのか、リュート?」 震える声でアシュレイは問うた。「君はさっき、それを感じたんだな? だからあれほど苦しそうに……」 彼は顔を伏せて答えない。 「ギュス、アローテ。行くぞ、僕たちだけで」 そして、うなだれている剣士の前に立った。 「リュート、手伝ってほしい。僕たちだけでは無理だ。きみの力が必要だ。頼む」 おずおずと顔を上げたリュートは、自分に向けられているアシュレイのまっすぐな瞳を見ると、笑みを顔いっぱいに広げた。 「あたりまえだろ! 今さら何を言ってやがんだ!」 |