TOP | MAP | HOME The Chronicles of Thitos ティトス戦記 外伝 Episode 2 旧暦3638年 白鳳月
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§2に戻る §3 3キロの道のりを狂ったような勢いで走破すると、町の側で馬を飛び降り、茂みに隠れた。 ラクティは、数十年前まではパロスより人口の多い、古い城塞都市だったが、魔王軍の侵攻につれて、過去の栄光は失われてしまっている。 それでも5千人を越える住民がここには住んでいるはずだった。 「門の前で敵の出てくるのを待ち受ける」 リュートはさも当然とばかりに、アシュレイたちに命令を下した。 「あちらさんは圧倒的に多勢だから、俺たちがたった4人なのを見れば、必ず出てくる。しかも最初のうちは、馬鹿にして兵を小出しにするはずだ。 取り囲まれでもしたら、こっちに勝ち目はねえ。絶対確実に眼の前の敵を仕留める。これしかねえ。 ギュス、アローテ。今度はおめえたちの魔法を思いっきり拝ましてもらうぜ」 「はいっ」 「なんだか、また仕切られてるな」 ギュスターヴは頭を掻いた。「まあ、こういう状況じゃ、それも心強いか」 「初めて気があったな、俺たち」 「気が合ってるわけじゃない!」 「行くぞ、みんな!」 アシュレイの号令を合図に、4人は城門目がけて走り始めた。 アローテは走りながら器用に呪文を唱え、アシュレイとリュートに魔法をかけた。 「うわっ。何だこれ! 俺たちのからだが今青く光ったぞ」 「アローテの防御呪文だよ。これで少々の物理攻撃は受け付けなくなった」 城門の前に着くと、リュートは渾身の力をこめた獅子のような雄たけびをあげた。それは、ラクティの町に陣取っていたすべての魔物たちに聞こえただろう。 跳ね橋が下がり、果たして彼の目論見どおり、20匹ほどの魔王軍兵士が門から飛び出してきた。 リュートとアシュレイは、難なく攻撃の第一波を倒した。 第二波も同様。剣の数閃のもとにねじ伏せる。 さすがにあわてふためいた彼らは、今度は数百単位の兵士を投入してきた。 ちょうどそのとき、ギュスターヴの中級呪文が完成した。 雷撃が蒼天にひらめいたかと思うと、次の瞬間大勢の魔物が表門と中門とのあいだで黒焦げになって折り重なった。 「すげえ!」 リュートは身震いして言った。「ギュス、おめえ、たいした奴だな。こんなとんでもねえことができるなんて」 「へへ。見直したか」 ギュスターヴは得意満面だった。 奇しくも、雷撃で倒された死体が門を塞いだおかげで、戦況はぐっと有利になった。敵は大軍をくりだすことができない。 しかも、門を閉めようにも跳ね橋をあげようにも、死体が邪魔をしているのだ。 やがて頭のいい数名の者が城壁に上がり、火のついた松明を投げ落とし始めた。 跳ね橋がめらめらと燃え始める。 「しまった!」 アシュレイが仲間に叫んだ。「跳ね橋が燃え落ちる前に、突入するぞ!」 轟々と音を立てて炎をあげる跳ね橋を突っ切ると、門の奥で待ち構えていた魔物たちを一刀両断のもとに切り捨て、4人はついに町の内部に立った。 城門前広場は、魔王軍の兵士でいっぱいだった。 「へっ。よくまあ、うじゃうじゃと」 リュートはひるむどころか、目に好戦的な光を宿して笑うと、大剣をふりかざして敵の正面から突っ込んだ。「覚悟しろ!」 「ギュス、アローテ。門の下にいるんだ。城壁の上からの矢に気をつけろ!」 アシュレイは魔導士たちをかばう位置に立つと、かかってくる敵を次々となぎはらった。 ギュスターヴの氷結呪文。 アシュレイの勇者の剣。 そして、リュートの鋼の大剣の前に、魔王軍は累々と屍を積み上げ始めた。 しかも、1時間2時間と経っても、アローテの回復呪文と防御呪文のおかげで、彼らは疲れを知らない。 戦いの前線は次第に、小高い城へと続く大通りへと移っていった。 先陣はリュート。さながら軍神のごとく大剣を振り回しながら、かつては住民たちの憩いの場であった大理石の瀟洒な階段を昇っていく。 アシュレイは後衛で戦況を見渡しながら、取りこぼした敵を叩いて進む。 ギュスターヴとアローテは、物陰を見つけては、素早く新しい呪文を唱え始める。 突然リュートの斜め後ろから、予期していなかった伏兵が飛び出して、襲い掛かった。 彼はとっさに身体をよじって攻撃をかわしたが、それでも脚から小さな血しぶきが上がった。 それが合図であるかのように、敵は八方から切りかかってきた。 間一髪。 炎が木々のようにそびえ立ち、敵兵を火だるまにした。 「だいじょうぶか、リュート!」 アシュレイが駆け寄って来た。 「あ、ああ。だいじょうぶ。皮一枚かすっただけだ」 彼は不思議そうに小柄な少年を見降ろした。「今のはいったい、何だったんだ?」 「火の初級呪文だよ」 「おめえが?」 「ああ」 「回復魔法だけじゃなく、攻撃魔法まで使えるのか。なんで俺と戦ったとき、そいつを使わなかった?」 「だって、きみが剣の勝負をしようって言ったから」 アシュレイは無邪気に微笑む。 「ちぇっ。完璧に俺の負けだ」 リュートはがっくりと肩を落とした。 「まいったよ。すげえ奴だ。やっぱりおめえは勇者なんだな」 階段を昇りきると、そこに開けた中央広場には、さらに大軍が待ち構えていた。 「まだこんなにいやがったのか」 さすがのリュートもうんざりしたように、顔をしかめた。 「倒した敵を数えながら進めよ」 ギュスターヴが冷たく言う。「7百は倒した。千の大軍なら、残りは3百だろ」 「なんで、そんなことが分かるんだ? 魔法か?」 「引き算くらい、覚えとけよ!」 「あ、あそこ」 アローテが指差したのは、広場の正面奥の花時計に陣取る、巨大な魔族の姿だった。 象のような灰色のひび割れた皮膚におおわれた巨体は、有に3メートルを越える。 長い牙が剥き出す、醜く垂れた口。目は白い部分がまったくない、暗黒の穴のようだ。 「あいつ……」 リュートが歯軋りした。 「あれが、きみの感じた魔将軍なのか?」 「ああ、ものすごく強えやつだ」 「きみひとりで戦えるか?」 「え?」 アシュレイは、信頼に満ちたまなざしで彼を見つめた。 「僕とギュスターヴで、広場の3百の敵を先に片付ける。それが終わって加勢に駆けつけるまでのあいだ、何とかひとりで奴を引きつけていられるか? 奴らを分断しておかないと、同時に襲われたら、僕たち4人では手に負えないだろう」 「いい考えだな」 リュートは手の甲でぐいと、顔の汗と血糊をぬぐった。「よし、やってやらあ!」 「リュート、待って!」 アローテが、呪文とともに彼に両手を差し出した。 「攻撃力の上がる魔法、祝福【ブレス】よ」 「ありがとよ、アローテ」 彼は階段の手すりに飛び乗ると、いきなり跳躍した。 中央広場のあちこちに据えられた彫像の台を足場に、次々と敵の頭上を身軽に飛び越えるさまは、まるで妖精が舞い踊っているようだった。 アシュレイはそれを見届けぬうちに、向かってくる敵を切り倒し始めた。 ギュスターヴとアローテはそのあいだに、階段のわきの高い花台に昇って安全を確保する。 花時計にとりついたリュートは、大剣の切先を敵の大将向けて、魔族のことばで怒鳴った。 『そこのうすらとんかち! 俺とサシで勝負しろ!』 相手は、挑んできた人間をちらりと見ると、鼻でせせら笑う。 『小僧、威勢がいいな。我を魔将軍随一のビルゲスと知って、なお挑むか』 『そんな名前、聞いたこともねえ。今日死ぬ奴の名前なんか、いちいち覚えてられるか』 『ふふ。おまえか。人間の中に現われた、「勇者」とかいう奴は』 『そいつなら向こうにいる。けどてめえなんぞ、勇者の剣を汚すまでもねえ。前座の俺で満足して死にな!』 ビルゲスがその言葉に気を取られ、一瞬広場の向こうを見やったのを逃さず、リュートは花時計の上まで一気に飛び上がって斬りつけた。 「見ろよ、アローテ。あのでかいリュートが、あいつの前じゃまるで子どもに見える」 いよいよ始まった一騎打ちを花台の上から観戦しながら、ギュスターヴが暢気な声を上げた。 「ちょっとギュス。ぼんやり見てないで、早く呪文はじめなさいよ」 「まあ待てよ。今トランスに入る前の呼吸を整えてるんだから」 「えっ? こ、こんなところでトランスに入るの?」 「3百匹まとめて片付ける、でっかいのをやってやる。もしそのあいだに魔物がここに上がってきたら、おまえの杖でぶん殴って蹴落としてくれよ」 「そ、そんなあ」 「だいじょうぶ。俺が昔、おまえの着替えをのぞいたときの剣幕でやりゃあいいんだ」 アシュレイは広場の大軍をひとりで相手にしている。 勇者の剣の金色の聖なる光はそれだけで、雑兵の魔物を一瞬たじろがせる力を持っている。 その剣が光を放つごとに、数匹ずつ敵が吹っ飛び、あるいは地面に力なく崩れ落ちる。 しかし、あまり多くの敵を相手にした実戦経験のないアシュレイにとって、この戦いは長引くほど不利だった。 用心のため階段を背にしていたはずなのに、いつのまにか敵のまん中に誘い出されてしまっている。 何よりも最大の失敗は、位置が変わったことによって、アローテの回復呪文の届く範囲から外れてしまったことだ。もう自分の魔法しか頼るものはない。 「ああ、アッシュ、だいじょうぶかしら……」 花台の上から動けないアローテは、はらはらと胸をおさえながらも為す術がない。 「キャッ、ほんとに来ちゃった!」 花台をよじ登ってこようとする敵兵を、彼女はあわててローブの裾をまくり上げ、ブーツのかかとで思い切り蹴飛ばした。 「ああん、ギュス、早く終わってよう」 ギュスターヴは何も見えず、何も聞こえないトランス状態にわが身を置いていた。 魔法のためだけに全生命力を賭ける絶対空間。トランスに入ることはそれだけで、魔導士の命を削るという。 今彼が唱えている呪文は、彼の知りえた最強の攻撃呪文、上級雷撃魔法であり、まさに彼の生命力をこめた魔法なのだ。 何故? 命を削ってまで何故? 「じいちゃん。……俺、わかっちまったよ。俺の親が死んだ本当の理由」 「トランスについて学んだのじゃな。ギュス」 「父ちゃんも母ちゃんも、上級魔法が使える数少ない魔導士だった。魔王軍との最初の戦いで、5年間最前線に立たされた。 幾度も幾度もトランスに入って……、そしてついに寿命が尽きた。まだたったの30歳で!」 「ああ、そうじゃな」 「だから、この村の男も女もほとんど帰ってこねえんだ。子どもを生んで、そのまま命が尽きる。鮭みてえに。みんな若いうちに死んでゆく」 「……魔王軍との戦いが始まった10年前からこの方、おまえの親の世代は激しいいくさの中で、ほとんどが死に絶えてしもうた」 「何で、……何で自分の命を削ってまで、戦うんだ? そんなことして、誰が感謝してくれる?」 「感謝されたいからとか、強いられたからではないぞ、ギュス。みんな自分から進んで戦っておるのじゃ」 「どうして?」 「自分の愛する者を守るため……かのう」 愛するものを守る……愛する者とは……誰だ? 「ギュス、もうだめ。……お願い、早く呪文を……」 リュートは魔将軍との戦いで、なお相手に取り付くことができず焦っていた。 「くそう、こいつガタイの割に、……早い!」 正面からの攻撃はすべて大きな盾と斧に阻まれてしまう。 どんなに回り込もうとしても、敵は素早く正面を向けてくる。 祝福【ブレス】を受けて攻撃力が上がった彼の一撃は、触れる石畳や壁を粉々に打ち砕いているのに、ビルゲスの盾には傷ひとつつけられない。 『小僧、なかなかやるな』 巨大な魔族は、にやりと笑った。『攻撃力もたいしたものだ。しかし、この圧倒的な守備力の差は如何ともしがたいぞ』 言い放つなり、彼は盾をぐいと前に突き出してリュートをたじろがすと、反対の手の斧をいきなり振り下ろしてきた。 とっさに後ろに飛びのこうとしたものの、花時計の上は足場が悪すぎた。 リュートの胸は、レザーアーマーごとぱっくりと斜めに裂かれた。 「ぐああっ」 彼はむせかえるような香りの中に尻餅をついた。 胸を押さえた右手の指のあいだから、血があふれ出す。肋骨も2、3本いっているらしい。 目がかすみ、意識がふわりと浮き上がりそうになるのを、かろうじて気力でこらえた。 そのとき、今朝感じたあの不思議な感覚がまた襲ってきた。 目を閉じているのに、回りがすべて見えている感覚。 アシュレイが魔王軍に取り囲まれて、全身傷だらけになって、なお戦う姿が浮かび上がった。その疲労は極限に達し、回復呪文をとなえる余裕すらない。 ギュスターヴは何かしれない真っ暗な空間の中に身を置いている。とてつもない魔法の呪文を唱えながら、その生命力が少しずつそがれてゆく苦痛に耐えている。 アローテは幼なじみを守ろうと、必死に足元から押し寄せる魔物と戦っている。しかし、その手に握られているのは細い杖だけ。恐怖のあまり嗚咽をもらしている。 ――こんなところで諦めてる場合じゃねえ。 「うあおおおおっ」 リュートは花びらを舞い散らして立ち上がり、魔将軍に向き直った。 『ほう、まだ立ち上がる力が残っていたのか』 『うるさい』 彼は左手の大剣をだらりと下げ、地面を摺るように構えた。 青い瞳は闇にひそむ獣の目のように、爛々と光を放ち、口の端に嘲るような笑いがにじんだ。 『下等な……生き物め』 『なにっ?』 次の瞬間、リュートの目にも止まらぬ太刀筋は、ビルゲスの盾と斧の鉄壁の防御のわずかの隙間を縫い、その頭、顔、胸、腹まで真っ二つに断ち切った。 『ギャアアアッ』 断末魔の悲鳴を残し、魔将軍は美しい花のじゅうたんを真っ黒に染めながら、ずり落ちて行った。 「はあっ、はあっ」 正気に戻ったリュートは、突然荒い息を口から吐き出し、剣で身体を支えながら大広場に振り向いた。 「アッシュ……ギュス……アローテ」 そのことばをかき消すかのごとく、耳をつんざく雷鳴がとどろいた。 あたりを天からのまばゆい光が包み、すべてのものを溶かしてしまうほどの高熱の溶鉱炉と化した。 ギュスターヴの上級雷撃呪文が炸裂した広場は、朦々たる黒煙にしばらく包まれていたが、春風がそれを洗い去った。 敵は全滅だった。 隅に退避していたアシュレイは、力尽きて、地面にのびてあえいでいる。 ギュスターヴは魔法力が空っぽになり、呆けたような表情で花台の上に座り込んでいる。 アローテはその隣でぴょんぴょん飛び跳ねている。 「やったわよう。リュート。みんな無事よう」 彼女の笑顔を網膜に焼き付けたまま、リュートは柔らかい花の中に大の字になってぶっ倒れた。 |