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The Chronicles of Thitos
ティトス戦記


外伝 Episode 4
旧暦3639年 赤鳳月

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§2

 ギュスターヴは酒場の外にリュートを引っぱり出した。
 にぎやかな楽曲とまばゆいほどの灯りが高窓から洩れてくる。
 まるで街を一周してきたのかと思わせるくらいぜいぜいと息を切らして、黒魔導士は恐ろしい目つきで剣士を見上げていた。
「な、なんだよ、いったい」
「不本意だが、これはおまえにしか頼めないことだ」
「だから、いったい何だって」
「頼む。おまえ、アローテに嫌われてくれ!」
「はあっ?」
 リュートは口をあんぐりと開けた。「おめえ、酔っ払ってんのか?」
「ばか、酔っ払ってんのはそっちだ」
 ギュスターヴは言いたくなさそうに、暗闇に沈む足元の地面に目を落とす。
「……アローテが泣いてるんだ」
「え?」
「おまえが今日昼、果物を届けに来てから、ずっと自分の部屋で泣いてる」
「そんなにクラタスが不味かったのか……」
「阿呆!」
 ギュスターヴは癇癪を起こして、リュートの胸倉をつかんだ。
「だいたい、おまえは何でこんな余計なことをするんだ。アローテのことを好きでも何でもないくせに、気を引くようなことばかり」
「気を引くって何だよ。俺はアローテに元気になってもらいてえから……」
「リュート。おまえ、アローテを好きなのか嫌いなのか、はっきりさせろ」
「嫌いなわけないだろうが。一年間もいっしょに旅をしてきた仲間だぜ」
「そんなんじゃなくて、女として好きかどうかと聞いている!」
「お、女……」
 さすがのリュートも、ようやく事の次第を察して、神妙な顔つきになった。
「そんな……、アローテを女として好きかどうかなんて、考えたこともねえよ」
「その気は全然ないってことか」
「第一、アローテはおめえに惚れてるんだろう? 俺はずっとそう思ってたぜ」
「残念ながら、今の俺は2番目だ」
「2番目?」
「アローテの1番はおまえなんだよ、リュート!」
 リュートは絶句して、目を彼からそらせた。
「とにかく前にも言ったが、俺は人の女を横取りする気はねえ。前にそれで、仲の良かったヤツと殺し合いになったことがある」
「い、言っとくが、俺は殺すのも殺されるのもごめんだからな!」
「こっちだってそうさ。こんなことでギュスと仲たがいはしたくねえ」
「それなら、話は早い」
 ギュスターヴはとたんに笑顔になる。
「うんとこさ、アローテに嫌われてくれ。もう顔も見たくないほどに」
「ち、ちょっと待て、アローテとも仲たがいはしたくねえよ。そんなことになったら一緒に旅できなくなる」
「男として嫌われてくれればいいんだ、とにかく。……そうだな。なるべく彼女のそばに寄るな。話しかけるな。だらしない服装で風呂にも入るな。いつも飲んだくれて、たくさんの女の尻を追っかけてろ。いいな!」
「ギュ、ギュス……」
「まかせたぜ、リュート!」
 彼はぽんとリュートの腕を叩くと、うってかわった楽しそうな様子で行ってしまった。
「ギュス!」
 情けない顔のリュートがひとり残された。
「それ、みんな俺が今やってることじゃねえか。これ以上、いったいどうしろって言うんだよ」


 オルデュース・ド・ラプリスは、15歳になるとほぼ同時に騎士叙任式に臨み、異例の早さで出世を遂げると、一年も経たずに陸軍一個師団を任され、本人の強い希望で今回のサキニ大陸駐留軍を指揮して、エペ、ペルガとアシュレイたちとともに転戦してきた。
 背中までの赤茶色の髪を首筋でぎゅっと縛り、戦場にいるときは冷徹すぎるほど無表情なはしばみ色の瞳も、プライベートでは大人びた優しい色に変わる。
 長躯で、工まずして女性にもて、アシュレイと同期でありながらかなりの酒を嗜むところも、リュートと馬が合う一因だろう。
 ある雷鳴とどしゃぶりの雨の夜。
 リュートとオルデュースは、空いている酒場のカウンターに並んで、酒を酌み交わしていた。
「実はな。今晩の酒代を出しているのは、アシュレイだ」
 オルデュースは何十杯目かのワインをリュートに勧めながら、正直に告白した。
「つまり俺は、勇者の命令で、公務としておぬしと酒を飲んでいるというわけだ」
 リュートはそれを聞いても、涼しい顔で飲み干す。
「ははーん、やっと本題に入ったな」
「気づいていたのか」
「途中からな。でもアシュレイのおごりと聞いたら、心置きなく飲んでやるとするか」
 そう言って、自分とオルデュースの杯になみなみと酒を注いだ。
「どうせ、ハンターギルドの連中の話だろう?」
「察しがいいな。おぬし、どうも聞いていたのとは少し違うようだ」
「アシュレイのやつ、俺のことを何て言ってやがるんだ……」
 とリュートはぼやいた。
「サルデス軍の駐留中に限っての話だが、ハンターギルドからの依頼という形をとって、彼らに傭兵としてわが軍の傘下で参戦してもらうわけにはいかないか」
「……」
「もちろん、臨時の措置だ。俺たちが撤退したあとはギルドのシステムは存続する。
たとえガルガッティアが陥ちても、魔王軍の勢力が完全にこの大陸から消えるわけではない。ハンターギルドはここの風土に合った一番効率のいいシステムとして、残党狩りの中心になると期待している」
「ハンターの奴らは、軍とか、傭兵ってことばが一番嫌いなのを知ってて言ってんのか」
「恐らく、そうだろうな。否定はせん。
しかし、こうでもしなければ、彼らの生活を保障することはできん。ましてや、個々に今の魔王軍と戦おうというのは、まさに自殺行為だ」
「ああ、それはわかってる……」
「おぬしらサキニ大陸の人間は、俺たちに比べて、「統一」や「他人と同質であること」を嫌うな。俺の見たところでは、魔族の奴らも同じ考えらしい」
「なんだよ、それは」
「魔王は15年かかって、ようやく魔王軍を統率のとれた軍隊に仕立て上げた。ばらばらに戦うことしか知らない連中をだ。
俺の思うに、魔王って奴は魔王軍の中でも、どこか異質な存在なんじゃないかという気がするんだ。
……おぬしはそう感じたことはないか?」
「知らねえよ。会ったこともねえし」
 リュートはぶっきらぼうに答えると、カウンターの内側にいた女性に声をかけた。
「もう空っぽだぜ、クレア」
「わかってる。さっきのあんたの酒を注ぐ音で」
 酒場の女将は用意の整っていた酒壷を剣士の手元に置くと、彼の唇に軽く接吻した。
「今の女性……、おぬしの女なのか?」
 オルデュースは、彼女が去ったあとに小声でたずねた。
「まあな。何て言うのか、14のときに俺の『筆下ろし』をした女だ」
「初めての相手、っていう意味か?」
「ああ」
 リュートは不思議そうに、彼に振り向いた。
「おめえ、貴族にしてはいろんなことを知ってるな」
「下級騎士の出だからな。アシュレイのような純粋培養とは訳がちがう」
「それでか。戦術の知識と女に関する知識は、おめえに並ぶ者はいないって、アッシュが言ってたぞ」
「おおいなる誤解だな」
 オルデュースは苦笑した。「俺だって、神の御前に騎士の誓いを立てた男だ。おぬしのような無軌道なことはしていないつもりだ、一応はな」
「一応ね」
「話が本筋からそれたな」
 と咳払いする。
「とりあえずアシュレイには心配するなと報告しておく。リュートはちゃんとおまえの真意を理解してる……とな」
「ああ、ギルドの連中は俺から説得してみるよ。世話をかけてすまなかったな」
「いや、こちらこそ楽しい酒の邪魔をした。今晩の酒代は全部アシュレイに払わせるから、そのつもりで飲みなおしてくれ」
「ちょっと待て、オルデュース」
 席を立ちかけた彼の袖を、リュートはあわてて引き戻した。
「今度はこっちの話を聞いてくれねえか? おめえのその、女に関する知識を見込んで、相談がある」
「女についての?」
「ああ、くそっ。こんな話しらふじゃできねえ。もうちっと飲むから、待っててくれ」
 と言うなり、リュートは壷ごと口をつけて、顎に流れ出すほどの勢いで飲み始めた。
「おぬし、まだ素面だったのか……」
 ようやく空の壷を置き、吐息をつくと、リュートは観念したように言った。
「お願いだ。女に嫌われる方法を教えてくれ」
 オルデュースは目をぱちくりさせて、リュートをまじまじと見る。
「気のせいか、おぬしからそういう言葉を聞くと、かなり嫌味に聞こえるのだが」
「すまん、気を配ってしゃべれるほど俺は頭が良くねえ。とりあえず、今俺はひとりの女にとことん嫌われなきゃいけねえ事情があるんだ」
「ほう、その事情とは?」
「その……名前は言えねえが、俺にはひとりのダチがいる。そいつには小さい頃からずっと好きだった女がいる。ところがその女が俺のそばにいるうちに、どうも俺に気移りしたらしい」
「よくある話だな」
「俺はそのダチを悲しませたくねえし、決して女を取ろうなんて思ってねえ。でも、その女のこともできれば傷つけたくねえ。
……いったいどうすればうまく俺が嫌われて、ふたりが元の鞘に収まるようにもっていけるかな?」
「難しいな。誰も傷つかずにことが収まるというのは、こういう場合虫が良すぎる」
「やっぱりそうか」
「本来、ギュスターヴがもっと積極的な男なら、こんな問題は起きていなかった。優柔不断にすぎるからアローテがぐらついた。これはもともとふたりの間の問題なんだ」
「ああ、そうだな……ええっ!」
 リュートが目を剥いて叫ぶ。
「俺、ふたりの名前なんか言ってなかったのに、なぜわかったんだ?」
「それしかいないだろうが。おぬしのそばにいる幼なじみの男女なんて」
 呆れたようにオルデュースが答えた。
「確かにアシュレイの好きなのも幼なじみだが、……彼女はおぬしのそばにはいないしな」
「アッシュの奴にまで、惚れてる女がいるのか?」
「まあ、惚れてるといっても、相手はまだ11歳だ」
「げっ、そ、それは犯罪なんじゃねえか?」
「キスはおろか、手を握ったこともないよ」
 師団長は、にやにやと笑った。「リュート。おぬしも何回も会っているのだぞ。まだ誰だかわからんのか?」
「見当もつかねえ」
「おぬし、実は本当は相当な恋愛音痴だな」
 感心した声音で、オルデュースはつぶやいた。「経験豊富なくせして……。いや恋愛音痴だからこそ、経験だけは豊富なのか」
「なに、訳のわからねえこと言ってる」
「とにかく可能性はふたつにひとつだ。おぬしが完璧にアローテをふる。アローテを一時的に泣かせることになるが、ギュスターヴの努力次第でふたりは元の鞘に収まる。
もうひとつの可能性は、おぬしがアローテをギュスターヴから奪うことだ」
「俺は、そんなつもりはねえよ!」
「なら話は早い。おぬしには将来を誓い合った恋人がいると、すぐそこに立っている美人をアローテに紹介すれば、一件落着だ。それなら彼女も諦めがつく」
「クレアをか……」
「ただし、それはおぬしが本当にアローテのことをなんとも思っていないことが前提だ」
「いくら俺でも、15やそこらの娘なんか眼中にねえよ」
「アローテは確か17歳になったばかりと聞いているが」
「じ、17? いつのまに?」
「おまけに、年下の俺が言うのも変だが、十分魅力的な大人の女性に見えるぞ」
 オルデュースは、ぼう然としているリュートを横目で見て、くすりと笑った。
「おぬし、本当に鈍いな。その鈍さを何とかせねば、三人とも苦しむことになるぞ」


 アローテは持っていた荷物をどさりと床に落とした。
 ランプの光も届かない、廊下の隅の暗がりで、リュートがあの女性と抱き合っていた。
 片手で彼女の首を支え、もう片方の手は豊かな乳房をまさぐっている。
 両脚は彼女のスカートにぴったりと押し当てられ、体全体でおおいかぶさるように、彼女の唇を激しく求めている。
 アローテが物も言えずに震えて立ち尽くしていると、彼はやがて顔をこちらに向け、欲望に囚われた暗い瞳で彼女を見た。
「何の用だ」
「あ、あの私、伝言を受け取って……あなたの荷物を……」
「わかった。そこに置いといてくれ」
「あ、あの……」
「邪魔だ。あっち行ってろ!」
 彼の腕の中の女性は、アローテをちらりと見て微笑んだ。「見られてよかったの? あんたの新しい恋人じゃないの?」
「こいつが?」
 リュートは嘲るように口の端をゆがめた。
「冗談じゃねえよ。こんなガキ相手にできるか」
 アローテは脱兎のごとく階下へと走り去り、酒場のドアを大きく揺らして、夜の闇の中に飛び出していった。
 リュートはそれを見届けると、小さなため息をついて、女から体を離した。
「すまねえ、クレア。こんな芝居につき合わせちまって」
「あたしは全然かまわないけど……。あれでほんとによかったの、リュート?」
「ああ、あれでいいんだ。もうこれでしつこく付きまとわれなくて済む。ほっとしたよ」
「その割には」
 彼女は、リュートの顎を指の腹でそっと撫でた。「なぜあんたは、そんな傷ついたみたいな目をしているの?」
「え……?」
「泣くのをがまんしている子どもみたいな目。5年もあんたを見てきた、このクレアさんを誤魔化せるとでも思っているの?」


「アローテ、開けていいか? 開けるぞ」
「いやああっ!」
 ドアを開けた途端、枕やらサイドテーブルの置物やらが飛んできて、アシュレイはまたあわててドアを閉めた。
「私にかまわないで! ほっといてよぅ!」
 しばらくすると、くぐもった泣き声が聞こえてくる。
「もう3日もこれなんだ」
 ギュスターヴは精根尽き果てたように、ドアを背に座り込んだ。
「この3日、ろくに食事もしてない。ときどき発作みたいに、わあわあ大きな声で泣きわめく」
「いったい、3日前に何があったんだ?」
「リュートだろう、たぶん。俺があいつに頼んだんだ。こっぴどく嫌われてくれって。きっとアローテに非道いこどばを浴びせたにちがいない」
「それじゃあ、しょうがないじゃないか」
「だって、もう3日になるんだぜ。失恋のショックなんて、普通は3日もありゃ立ち直るもんだろう。日を追うごとにますます悪化するなんて……。
俺はアローテがリュートに惚れるのはがまんできないが、奴に泣かされているのを見るのは、もっとがまんできん!」
「そんな勝手な……」
「リュートをここに連れてきて、土下座させてやる! 一、二発ひっぱたきゃ、アローテも落ち着くだろう」
 ギュスターヴが勇んで出て行くと、
「やれやれ」
 アシュレイも頭を掻きながら階段を降りる。
 そのとき、ちょうどギュスターヴと入れ違うようにして、オルデュースが宿屋の入り口に立った。
「オルデュース、なにか用か?」
「おい、アシュレイ」
 彼は眉根に深い皺を寄せて、入ってくるなり詰問した。
「リュートはいったい、どうしちまったんだ?」
「え?」
「大通りの階段の脇でぼうっと座っているんだ。まるで呆けたみたいに、飲み仲間が誘っても、女どもが声をかけても何も聞こえていないらしい。
酒もこの3日間、一滴も口にしていないそうだ。ま、そっちの方は喜ばしいことだが」
「み、3日間と言ったか?」
「回りの連中の話によると、おかしくなったのは3日前からだそうだ。アシュレイ、何か心当たりでもあるのか?」
「アローテも、3日前から部屋に閉じこもって泣いてるんだ……」
 オルデュースはしばらく口をぽかんと開けていたが、やがて卓を叩いて大声で笑い出した。
「何てことだ。だから俺は忠告してやったのに……」
「オルデュース?」
「リュートみたいに無頓着で鈍感な男はな。こんなことにでもならなきゃ自分の本当の気持ちには気づかないのさ」
「本当の気持ちって」
「奴はアローテに惚れてる。心底惚れてるのに、あの女たらしったらこれが初恋らしくて、自分ではまったく意識してなかったのさ。
……いや、ギュスターヴのために知らぬ間に自分の気持ちを押し込めていたとも言えるな」
「そんな……」
「ま、俺は愉快だからいいけど」
 涙をぬぐい、なおも含み笑いしながら、オルデュースはアシュレイの肩に手を乗せた。
「三人の間に入ったおまえは、今から修羅場を見るぜ。リーダーって辛いな」
「ま、待て、オルデュース。待てってば!」
 親友は背中越しに片手を振った。
「早いとこ、結論を出してくれよな。勇者一行がそんな調子の今、魔王軍に攻め込まれでもしたら、勝ち目は薄いからな」


§3につづく


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