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The New Chronicles of Thitos

新ティトス戦記


Chapter 29



「遅すぎる――」
 広場から街の区画を見つめていたエリアルは、焦れた声をあげた。「ラディクは、いったいどうしたのだ」
 吟遊詩人が囮役を自ら買って出て、通りのひとつに消えてから、すでに三十分以上が経っていた。
「ラディクならだいじょうぶですよ」
 ジュスタンは、主の焦りをなだめるように言った。「あいつなら、どんな敵に囲まれても、逃げ道を失うほど追いつめられることはありません」
「いつものラディクならな」
 皇女は、少しのあいだ唇を噛んだ。
「このところ、彼は様子がおかしかったと思わないか」
「そういえば。妙に静かだとは思っていましたが」
 ジュスタンは首をかしげた。「腹を立てているからかと――それだけではなかったのですか」
「そうだ。歌わないのだ」
 エリアルは叫ぶように言い、緑色の瞳を虚空に凝らした。
「この二日、彼の歌を一度も聞いていない。それまでなら、気球の上でも馬上でも、ラディクは歌っていたではないか。それこそ、よく喉がつぶれぬものだと思うくらい、旅の途上にある私たちをいつも楽しませてくれた」
 ジュスタンは押し寄せる疑惑に、みるみる眉をひそめた。
「確かに。……そう言えば、食事もあまり取っていないように見受けられました」
「具合が悪いのを隠していたのか?」
 エリアルは、すっと顔色をなくした。「まさか、路地に入ったまま動けなくなっているのでは……」
 ジュスタンは黒檀の杖を握りしめて、立ち上がった。
「わたしが、見てきます」
「待て。私が行く」
 エリアルは彼のローブの袖をつかみ、素早く制した。
「おまえがここに残れ。四方から敵が押し寄せたときでも、魔法を使えるおまえなら対処できるはず。敵に挟み撃ちにならぬよう、中央広場は死守しておかねばならん」
「ですが、姫さま。万が一にも」
 ジュスタンは、懸念に目を曇らせている。「あなたが渦中に飛び込んで――臣民を殺すようなことがあってはなりません」
 たとえ敵に操られているとは言え、トスコビ市民を帝国軍が、しかも皇女が先頭に立って虐殺したとなれば、テアテラはそのことを恰好の喧伝材料とするだろう。
 この一帯を治める領主、ペルガ候も黙ってはいまい。帝国内部、特に選帝侯たちと皇室の間に亀裂をもたらすことは、追いつめられたテアテラ側に残された、数少ない逆転の手段なのだ。
「案ずるな。わかっている」
 心配性に過ぎる忠臣に、エリアルは微笑を返した。「民は決して殺さぬ」
「それじゃ、おいらも、いっしょにお供します」
 ルギドの肩に乗っていたゼルが、ふわりと舞い上がった。「おいらが上空から見張って、決してエリアルさんを危険な目には会わせませんから」
「よいのか?」
 エリアルの問いかけに、噴水の縁に腰かけていたルギドは薄目を開けると、また眠そうに目を閉じてしまった。
「いくぞ。ゼル」
 髪がほどけぬように、しっかりとサークレットをかぶり直すと、エリアルは広場を走り始めた。
「内心は、ルギドさまもラディクが心配なのかもしれません」
 ゼルが遅れないようについて飛びながら、言った。
「なるほど。いつもなら、『ほうっておけ。あいつならひとりで何とかする』と言うだろうな」
 エリアルは、ますます募ってくる心配に、いっそう足を速めた。
 ラディクが消えた通りに来ると、まずは脇道に素早く身をすべり入れ、様子をうかがう。
 前もって目を閉じて、暗さに馴らしておいた。が、十分ではない。広場にはなかった夕暮れの予兆が、ひたひたと通りを這っていた。
 あと少しすれば、この通りはすっかり日陰に沈む。薄暮は敵から姿を隠してくれるが、逆に味方同士の姿も隠してしまうものだ。
 ラディクはどこにいる?
 通りにも、通りを見下ろす窓にも、人影は見当たらない。町全体が死んでしまったかのようだ。
 風が吹き抜け、軒先にかかっている商店の看板を揺らし、埃を巻き上げて通り過ぎた。
 不意に、すさまじい殺意が解き放たれたのを感じた。
 エリアルはとっさに剣を腰から放ち、路地から身を躍らせ、通りをはさむ煉瓦の壁にすばやく目を走らせた。
 どの窓だ?
 ガシャンという音が響き、少し離れた建物から、氷の欠片のように窓ガラスが地面に降り注いだ。


 それより時を遡ること三十分。
 同じ窓を目指して、ラディクは階段を上がっていた。
 胡乱な気配の出所を探して上を見上げたとき、二階の窓のひとつに、いくつかの顔が覗いているのが見えたのだ。
 その家の住民たちだろうか。彼と視線がかち合うと、あわてて隠れたが、そのうちのひとりが再び現われ、ガラス越しに手招きした。
 古い家具やゴミが乱雑に散らばった二階の通路を奥に進むと、扉のひとつが内側からギギーッと開いた。
 暗い部屋の中にいたのは、両親とおぼしき中年の男女と、十五歳ほどの少女を頭にした三人の子ども。手招きをしたのは、一番小さな弟だろう。家族は身体を寄せ合い、不安げな様子で、紅い目の訪問者を見つめている。
「帝国軍の方ですか?」
 恰幅のよい父親が、おそるおそる訊ねたので、ラディクは首を振った。
「俺は、旅の――」
 そう言ったつもりだが、喉からは、ふいごのような音しか出てこない。
 しかたなく、火の消えた暖炉に近づいて、黒い消し炭を拾い上げた。
 そして、彼らの脇にあるテーブルの板に、字を書き殴った。
『旅の吟遊詩人だ。だが、帝国軍なら今広場まで来ている』
「おお」
 安堵のため息が、彼らの口から漏れた。「神よ、助かった」
『この街に、何が起こった?』
 細君と子どもをかばうように立っていた男は、口ごもりながら答えた。
「今朝突然に、テアテラ軍が市内に入り込んできて、商店から金品や食料を略奪し始めたのです。私たちはあわてて家の中に隠れ、ずっとそのまま息をひそめていました」
『奴らは、今どこに?』
「北にある市立劇場に入っていったと聞きました。そのまま立て籠もっているかもしれません」
 ラディクは、目を眇めて一家をにらんだ。
 あわてて家に隠れたと言ったはずなのに、何故テアテラ軍の行き先がわかるのか。
 テアテラ軍に、そう言えと脅されているのか。ルギドは、町全体の住民が精神を操る術に支配されているかもしれぬと言った。もしそれが本当なら、ここに招き寄せられたことさえ、罠だということになる。
 そのとき、横からすっと小さな手が伸びた。とっさに身体をねじって身構える。
 きょとんと彼を見つめていたのは、彼を窓辺で手招きした五歳くらいの少年だ。
「おにいちゃん、うたうたいなの?」
 ラディクが肩に背負っている竪琴を、不思議そうにじっと見上げている。
「それ、ぎんゆうしじんの、だよね」
「吟遊詩人なのに、しゃべれないの?」
 九歳くらいの兄が、弟のことばを引き継いだ。「でも、歌は歌えるんでしょ。ねえ、何か歌ってよ」
「これ、やめなさい」
 父親が苛立った様子で、息子たちを制止した。
「こんなときに、何を暢気なことを言ってる。敵に聞きつけられたら、どうする」
「だってえ」
 彼らは泣き声をあげた。「つまんないよ。外に遊びにも行けないし、朝からずっと家の中にいるんだよ」
「しかたないだろ。今、この国は戦争をしてるんだ!」
 静まり返った部屋の中に、子どもたちのすすり泣きが残った。
 ラディクは、いたいけない子どもたちから突然つきつけられた事実に、途方にくれた。
 吟遊詩人は、興が乗らなければ、王の求めさえ退ける権利を持つ。だが、その反対に、町のもっとも貧しい民の求めさえ、断る権利を持たない。
 自由なる奴隷。それが、師から教わってきた吟遊詩人の哲学だった。
 だが今は、その自由さえ彼にはない。
 歌えない吟遊詩人。不自由なる奴隷。それが今のラディク・リヒターという存在だった。
「ねえ、おにいちゃん」
 幼子に涙をためた目でじっと見つめられ、みじめな思いで、彼は喉を指差した。
 夫の陰に隠れていた小柄な妻が、それを見て、はっと何かを気づいたようだった。
「喉を痛めていらっしゃるのね」
 彼女は奥へ引っ込むと、エプロンに小さな素焼きの甕を包んで、戻ってきた。
「クムリの蜂蜜漬けが、喉の病気に効きますよ」
 妻が縁が欠けたコップにオレンジ色の果物を一粒入れると、長女がストーブにかけていた薬缶のお湯を注いだ。甘酸っぱい香りが広がる。
「さあ、どうぞ」
 ラディクは、テーブルの上に置かれた湯気の立つ飲み物を、じっと凝視した。
 善意かもしれない。だが罠かもしれない。
「ねえねえ」
 少年は、また彼の腕を揺すり、唇をイーッと広げた。「それ、せきのおくすり。あまいけど、のみこむと、すごーくにがいんだよ」
 ラディクは思わず微笑んだ。子どもは正直だ。
 警戒を解いて椅子に腰をおろし、コップに口をつけた。満ち足りた暖かさがゆっくりと、喉から腹に駆け下りる。
 今まで身体をおおっていた緊張が、ほどけていく。
 飲み終わると、かたわらにいた少女が、頬を染めながらお代わりを注いでくれた。
 貧しい家族の住む平和な一室。自分の今までの人生で体験したことのなかった穏やかな暮らしが、部屋の隅々から匂ってくるようだ。
 ほんの一瞬、ラディクは自分が戦場にいることを忘れた。
 だが、夕闇が忍び入る窓に目をやったとき、現実が時間の感覚とともに戻ってきた。エリアルたちが、彼の合図を待っているだろうことを思い出したのだ。
 そして、通りに潜んでいるとき、確かにどこからか殺気を感じたことを。
 竪琴を背負って立ち上がると、父親があわてて懇願した。
「お願いです。広場にいる帝国軍のところまで、わたしたちを連れていっていただけませんか」
 いぶかしげな視線を返すと、母親が畳み掛けるように後を続けた。「トスコビから出たいのです。私たちを町の外へ逃がして」
 ざわざわと高まる違和感。
 ラディクは返事をせずに、扉に向かった。
 さっきからラディクの袖を引っ張っていた少年が、離すまいとしてぎゅっと力を込めた。
 子どもとは思えぬ恐ろしいほどの力。そして、背中に殺到する殺気。
 ラディクは身体をひねり、振り向きざまに腰に差していた三本のナイフを同時に放った。
 包丁や甕で彼に襲いかかろうとしていた夫婦と長女は、そのナイフに腕やわき腹をかすられ、うっと呻いて倒れた。
 正面からむしゃぶりついてきた兄には、手刀を浴びせる。彼は軽々と横にふっとび、窓にぶち当たって、そのままガラスの破片とともに床に倒れた。
 四人の襲撃者は動かなくなった。死に至るほどの傷ではない。彼らを操っていた魔法が解けたとたんに意識を失ったのだろう。
 きっと、この善良な一家は、目覚めたとき何も覚えていないはずだ。自分たちが、ひとりの、もの言わぬ吟遊詩人を殺そうとしていたことなど何も。
 いつのまにか自分たちの身体についた傷にいぶかりながらも、明日から元通りの生活を続けるだろう。
 ふと気づくと、左腕に暖かいものを感じた。
 最後まで彼にしがみついていた幼い少年が、手を離し、ことりと床にくずれ落ちた。
 その額は鮮血に染まっている。
 どういうはずみだったのか。ラディクを狙った父親の包丁が、いつのまにか小さなこめかみを抉っていたのだ。
 もはや息をしていない子どもを、ラディクは茫然と見下ろした。
 この子のことは頭の隅にあったはずなのに、ぎりぎりのところで、無意識に自分の命を優先してしまった。
 守れなかった。殺させてしまった――父親に息子を。
 ふらふらと扉を開けて外に出ると、廊下の向こうからゼルを肩に乗せたエリアルが走ってきたところだった。
 胸や腕のあたりを血まみれにしている仲間を見て、エリアルは凍りついた。「だいじょうぶか!」
 衝撃に打ちのめされていたラディクは、その声にうつろな目を上げた。
 俺のことを呼ぶのは、いったい誰だ。――敵か、味方か。
 俺は今、誰に与していたのだったか。――帝国か、それともテアテラか。
 狭く真っ暗な通路をこちらへ向かってこようとする皇女の背後に、市民たちの集団が階段の陰から現われた。
 男も女も老いも若きも。
 ランプに照らし出される十数の姿は、巨大な悪鬼の長い影となってエリアルたちを後ろから呑み尽くそうと襲いかかってきた。
「うしろに!」
 叫ぼうとして、声が出ないことを思い出す。
 ラディクは走り出した。
 声を出そうとして、出せない。守ろうとして守れない。古い怒りと絶望と悲しみが、腹の底から突き上げてくる。
 すれ違いながら、エリアルの手から勇者の剣をもぎ取った。
 その勢いで、影の真っ只中に躍りかかる。
「ラディク!」
 エリアルは悲鳴を上げた。「殺さないでくれっ」
 だが、次の瞬間、わが目を疑った。勝負はもう終わっていた。全員がその場に倒れ伏していたのだ。
 そして、ラディクはその中のひとりの男の胸から剣を抜くところだった。
 工場の作業服を着た普通の男。だが、よく見れば、その懐には隠し持っていた魔導士の杖の先が覗いている。
 テアテラの近衛兵だ。彼が魔法で、その場にいたトスコビ市民全員を操っていたのだ。
「どうやって――」
 問いかけたエリアルは、息をのんだ。
 振り向いたラディクの目は、暗がりで異様な紅い光を放っていた。
 だが、それだけではない。
 彼の手に握られた勇者の剣の刀身が、神々しいほど、まばゆい金色の光に包まれていたのだ。


 トスコビを包囲している帝国軍の陣地では、夜営の松明が空を焦がさんばかりに明々と燃えている。
 ルギドのテントに、ジュスタンとエリアルが訪れたのは、夜がとっぷりと更けた頃だった。
「ラディクの様子は?」
 豪奢な敷物の上に寝そべりながら問いかけるルギドに、ふたりは顔を曇らせた。
「声は出るようになりましたが、まだ完全には元に戻りません」
 ジュスタンが説明した。「喉頭にも声帯にも特に異常はないそうです。軍医の診たてによれば、心の病だと言うのですが」
「そんな大層なものか」
 ルギドはゼルの腹をくすぐりながら、低く笑った。「声が出せぬのは、あいつが嘘ばかりつくからだ。本当のことさえ話せば、病も癒えるだろう」
「そんな単純なことだろうか」
 エリアルは戸惑い、うなだれた。「私は、ラディクが声を失った原因は、もっと深刻なものだと思う」
 わずか数時間前の光景が、胸を焼く。
 襲いかかってくる市民たちの群れ。ラディクはその中から正確に、テアテラの魔導士だけを選び出して、何のためらいもなく斬り捨てた。
 精神操作から解かれた人々は、意識を失ってその場に倒れるか、あるいは自分がここにいることが解せないとばかりに、あたりをきょろきょろ見回した。
 やがて、騒ぎを聞きつけたジュスタンが加勢に駆けつけると、潮が引くように市民たちの襲撃も収まった。
 市民たちは扉を固く閉めて家にこもり、夜の帳の降りたトスコビの市街は、また元通りに静まり返った。
 だがラディクだけは、戦いが終わっても表情を強ばらせたままだ。
「怖い……」
 ゼルでさえも怯えて身体をすくめるほど、近寄りがたい気をまとっている。
 戦いの中で剣を突き立てれば突き立てるほど、彼の怒りは鋭く研ぎ澄まされていくようだった。
 人間という枠を超え、剣そのものと同化した存在。あのときのラディクは、そうとしか呼べない状態だった。
 それでいて、まるで汚いものを捨てるように、エリアルの目の前で血にまみれた勇者の剣を地面に放り出すと、振り返ることなく町を出て行った。
「勇者の剣が、確かに光ったのだ」
 エリアルはうめくように続けた。「言い伝えにあるとおりだ。ラディクは、初代皇帝アシュレイと同じように、剣に勇者と認められた」
 「だが」という言葉を、エリアルは飲み込んだ。
 それでも、あのときのラディクがアシュレイと同じ神聖な存在とは、どうしても思えないのだ。
 むしろ、その対極。世界を滅ぼしてやまない渇望と憤怒が彼を包んでいたような気がしてならない。
「気にすることはない。勇者などというのは、人間のつけた、ただの称号に過ぎぬ」
 ルギドは、エリアルをからかうように微笑んだ。
「勇者が世界でひとりしか存在せぬということもない。勇者であろうがなかろうが、アシュレイはアシュレイ。ラディクはラディク――そして、エリアルはエリアルだ」
「ああ」
 エリアルは、うなずきながら顔が熱くなるのを感じた。ラディクをかすかに妬む気持が彼女の心の奥底にある。そのことまで、この魔族の王には見抜かれているようだ。
 たぶん今の会話で、隣にいるジュスタンにも悟られてしまっただろう。
「少し外の空気を吸ってくる」
 彼らの前から逃げ出すように、テントを出た。
 乾燥した夜の大気の中で、地上を突き刺すような星の輝きが松明の火の粉と溶け合っている。
 潅木の陰の暗がりに、彼は座っていた。
 いつも小脇に抱えている竪琴が見当たらない。紅い瞳はどこをも見ておらず、まるで行き先がわからずに道端に座り込んだ幼子のようだ。
 憐れみとも苛立ちともつかぬ気持に、エリアルは襲われた。
「ラディク」
 片手に携えていた勇者の剣を、すっと彼の前に差し出す。
「これは、おまえのものだ」
 吟遊詩人は彼女をじっと睨み、口の動きだけで言った。
「いらない」
「これを使いこなせるのは、おまえだ」
「いらないと言ってる」
 彼の手が、これを乱暴に投げ捨てたことを思い出したエリアルは、そのときの強い怒りを思い出し、剣を引いた。
「それでは、今は私が預かっておく。いいな」
 返事はない。
 エリアルは、彼のそばに腰を下ろして、膝をかかえた。
「トスコビの市民を救ってくれて、礼を言う」
 ラディクを見ぬようにして、エリアルは言った。
「おまえの力がなければ、とてもテアテラの魔導士だけを倒すことはできなかった。きっと大勢の民が巻き添えになった」
 ラディクは何か言いたげに身じろいだが、結局何も言わなかった。
「まだ、声を出すのはつらかろう。黙ったまま聞いていてくれ」
 エリアルは少し身体を前にかがめると、ラディクの方を向いた。
「初代皇帝アシュレイの逸話は知っているな。彼は勇者の剣拝領の儀式を受けたとき、この剣が光り輝き、魔の種に冒された部下たちを救うことができたという」
 この話を聞くたびに、アシュレイ直系の子孫である誇りに身が震えたものだ。
「今日、殺到したトスコビ市民の中にテアテラの魔導士が混じっていたことを、ゼルも私も見分けることができなかった。勇者の剣を握ったおまえだけに見えていたのだ。しかも剣はアシュレイのときと同じく、みずから光を放っていた」
 ラディクは顔をそむけたまま黙っている。
「剣はおまえを認めたのだ。おまえは神に選ばれた勇者だ。もしかすると声が出せなくなったのも、勇者の剣をその手に握らせるための、天の配剤かもしれぬ」
 話しながら、エリアルは胸が苦しくなり、大きく息を吸った。
「お願いする。明日も我々の先頭に立ってくれ。トスコビ市街には、まだ大勢のテアテラ兵がひそんでいるのだ。市民を巻き添えにしないために、おまえの力が必要だ」
 ラディクは、彼女のことばを遮るように、聞き取りにくい、かすれた声で答えた。
「俺は明日から、もう戦いには加わらない」
「どうしてだ?」
「俺の武器は歌とナイフだ。歌えない以上、戦場にいるのは無意味だ」
「代わりに、勇者の剣を握ってくれ。レイアと近衛兵団の術に立ち向かえるのは、剣に選ばれたおまえしかいないのだ」
「選んでくれと、願ったわけじゃない」
「何を言っている!」
 エリアルの拳が、唐突な衝動に震えた。
「……この勇者の剣に選ばれたいと、私がどれほど願っていたと思うのだ!」
 地面の草を鷲づかみにし、力まかせに引きちぎる。
「だが天は私ではなく、おまえを選んだのだ。おまえには選びに応える義務がある。逃げることは赦さぬ!」
 やがて、ラディクの肩が小刻みに震えた。エリアルは、彼が笑っているのだとわかった。
「俺が、この剣で帝国を滅ぼしてもか?」
「え?」
「それでも俺を、神から遣わされた勇者と呼ぶのか」
 ほとんど声にならない息だけでそう言い切ったあと、ラディクは顔を上げた。
「この剣で、おまえの兄エセルバートを殺してもか?」
「何を言ってる、ラディク?」
 エリアルは、みぞおちに不意の恐怖を感じた。
 ラディクは、人差し指を地面につけ、土に文字を書いた。
『グスタフ・レヴァン』
「……誰の名だ?」
「覚えているはずはないな。おまえたちが殺した男の名を」
 字を手のひらでぐしゃりと潰すと、ラディクは立ち上がり、冷ややかに言った。
「俺はその男の仇を討つために、おまえに近づいた。セオドリク2世とその一家を滅ぼし、このティトスの帝政を根こそぎ終わらせるためにな」

             






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