連休中に、三宮のそごうに行きました。別の用事で行ったのですが、ちょうど季節柄、各階でバレンタイン向けセールの熱気がむんむん。7階の特設会場に行くと、各ショップのブースがずらりと並んで、すごい人ごみです。
私も思わず、夫や父のために3つも買ってきてしまいました。
さて、関西人にとってチョコレートと言えば、ゴンチャロフとモロゾフを抜きにして語ることはできません。このふたつの洋菓子店について、おもしろい記事を見つけました。
大正12年(1923)に神戸で創業されたゴンチャロフは、「チョコレートづくりの名人マカロフ・ゴンチャロフがつたえた、ロマノフ王朝の香り漂う高級洋菓子の伝統と感動を現代にお届けします」というのがキャッチフレーズ。
ロマノフ王朝と言えば、帝政ロシア最後の王朝。その香りを伝えるマカロフ・ゴンチャロフは、勿論、亡命ロシア人です。同じく神戸の洋菓子メーカー「モロゾフ」もまた、亡命ロシア人F・モロゾフが創業者。
このように、ふたつの老舗は、どちらも亡命ロシア人によって創設されたというのです。当時の日本文化に彼らが与えた影響がとても大きかったことをうかがい知ることができます。
ロシア革命後に国外に亡命したロシア人のことを「白系ロシア人」と呼ぶのですが、私はなぜかこの言葉に子どもの頃から、大陸的な壮大なロマンを感じてあこがれていました。なぜ「白系」と呼ぶのかといえば、「赤軍」と対比して「非共産主義のロシア人」という意味なのだそうです。この亡命ロシア人たちは200万人とも言われていて、東アジアにも多く逃れてきて、中国や日本の文化、特に音楽文化に大きく貢献しました。
それにしてもチョコレートというのは、原料のカカオはベネズエラやガーナなどの南方の国なのに、どうしてあれほど溶けやすく、寒い国で好まれるのでしょう。そのあたりにも、世界的な広がりを感じる食べ物です。
さて、2月14日のバレンタインデーですが、これはモロゾフさんが1936年に英字新聞の広告によってはじめて日本に紹介したと言われています。
私が小学生だったのは1960年代の後半ですが、もうそのころには、チョコレートを同じクラスの親しい男の子にあげるかどうかを、友だちと相談したことを覚えています。
はじめての恋の相手にチョコを贈ったのは中学2年のとき。直接渡すなんてとんでもなくて、友だちに頼んで渡してもらいました。
彼はちょっとけんかっぱやいけど、気持ちの優しい男の子で、一重瞼の目がきりっとしていました。夫も一重なので、私はそういう和風の顔立ちが好きなのかもしれません。
でも、彼には別のクラスに片思いの好きな女の子がいるらしいことがわかり、私の初恋はあえなく玉砕してしまいました。
ちょうどその一月後の3月14日、彼は「お返し」と言って私にチョコをプレゼントしてくれました。ホワイトデーの習慣を知っていたのかどうかはわかりませんが、私の気持ちに応えられないお詫びの気持ちだったのでしょう。ちょっぴりせつない味のするチョコレートでした。
今年はバレンタイン企画の短編が書けなかったので、その代わりに30年前のBUTAPENNの恋バナをお届けしました。