正直に告白すると、私はこの13年間、写真の整理をまったくしていませんでした。ティッシュの空き箱に並べて入れていくだけで、「整理は、老後の楽しみに取っておくわ」と公言してはばからなかったところ、この正月になって、血液A型・きれい好きの旦那さまについに強権発動されて、泣きながら1ヶ月かかって、ようやくアルバムにまとめ終わりました。
我ながら呆れた話ですが、これは、あらためて昔の写真を見直すよい機会ともなりました。
このブログで連載していた「アメリカ生活のススメ」は前回で終了しましたが、写真を一枚も載せていなかったことに気づきました。
今回「アメリカ生活のススメ・アルバム編」として、連載で紹介できなかった話も織り交ぜながら、2回にわたって紹介していこうと思います。
写真には、私たち一家の顔がチラリと出てきますが、写真も小さく、歳月の力はすっかり私たちを別人としてしまったので(笑)、そのまま載せてもかまわないでしょう。
「学校へ行こう!」編
小学校キンダークラスの授業風景。床に座って話を聞くことがとても多い。これは「Show and Tell(ショウアンドテル)」の時間。旅行のおみやげや、家に伝わる古いものなど、家から自分の宝物を持ってきて、みんなの前でひとりずつ発表する授業です。人前で発表することをとても大切にするお国柄がよく出ています。英語の下手な子も、自分の好きなものを見せられるので、たどたどしいながらも喜んで参加します。 | |
校庭で行われた「The Last Day of the School」。夏休み前の最後の「お楽しみ会」です(ちなみにアメリカの小学校では、始業式・終業式はありませんでした)。 障害を持つ子どもにヘルプが必要なときは、専任の補助教師が付きます。 |
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10月31日の「ハロウィーン」の日の風景です。 登校時から子どもたちはそれぞれのコスチュームに身を包みます。 学校では、先生も思い思いの扮装に毎年工夫をこらして、校庭で楽しいパレードが始まるのです。 |
バイリンガルPTAのこと
連載では紹介できなかったバイリンガルPTAのことを紹介したいと思います。
カリフォルニアでは地域によっては、生徒の半分近くがアメリカ以外で生まれた、英語を母国語としない(ESL)児童が占める学校が多くあって、バイリンガル(二ヶ国語)教育が盛んですが、彼らの父母と学校との交流を目指した集まりを、’Bilingual Advisory Committee’といいます。日本語に訳すと、「二ヶ国語諮問委員会」となりますが、要するに英語を話せない父母たちがお互いの交流を計り、学校との連携を密にしようとする場なのです。 | |
息子の行った小学校では、日本・韓国・台湾・香港・エジプト・インドなどの移民・駐在員たちの子弟が多く通っていたので、この委員会を学校はとても重視してくれていました。 この会のコンセプトは、 「英語がしゃべれないお互いが助け合って、自分たちの要望を学校に伝えよう。そしてその分、私たちも学校のために何かしよう」というものでした。 |
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実に多くの行事が行われました。「ホリデープレゼンテーション」では、韓国と日本のお母さんたちが、自分たちの国の文化やお祭りを披露しました。 「カルチャーフェア」というイベントは、各国の民族衣装・おもちゃ・遊び・食べ物や本などを展示して、生徒たちに触って遊んでもらおうという企画でした。参加は、韓国・中国・日本・ベトナム・インド・アルメニア・キューバと7カ国にものぼりました。 |
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毎年6月には、先生方に手作りの料理をふるまったり、遠足の費用が削られたときは、PTA主催のクリスマスバザーに手作り品を売るブースを出したりしました。英語の不得手な子どもたちも、親が足しげく学校に来てボランティアをしたり、自分の国の文化を紹介しているのを見て、誇らしく感じたと思います。 | |
「ここはアメリカなのだから、早くアメリカ文化になじみなさい」と押しつけるのではなく、「まず自分の国の文化に誇りを持ち、積極的に紹介してください。そしてそれらの国々の移民がアメリカという国を作ったことを覚え、りっぱなアメリカ市民になってください」というのが、アメリカの学校の教育方針だったように思います。 |
最近、外国人の母親による悲しい事件が起きました。もちろん、人としての心をどこかに置き忘れた特殊な事件であることは間違いありません。
しかし、「ことばがわからないのではないか」「回りの子となじめないのではないか」「仲間はずれにされているのではないか」と外国で自分の子どもを育てる不安は、外国で暮らしたことのある者なら誰でも一度は経験があることです。
それをサポートする体制を整えることで、親たちの抱く多くの不安はぬぐいされるのではないかと思います。日本の教育現場でその体制が整ってほしいと切に願います。