相互リンクをしていただいていた霞 桜蘭さんの「乱れ雪月花」が閉鎖しました。
その理由については、乱れ雪月花トップからの「閉鎖のお知らせ」をお読みくださればわかると思いますが、同じクリスチャンとして、またお互いのために祈り合っていたサイト仲間として、少し書かせていただきたいと思います。
クリスチャンでない人にとってはわかりにくいクリスチャン用語かもしれませんが、桜蘭さんがサイト閉鎖の決意をされた理由は、ひとつには、とりなしの祈り(人のために祈ること)と預言(神のことばを伝えること)のために献身をする決心をされたことです。
「献身」とは、自分の人生のすべてを神にささげることです。もちろん牧師になることも含みますし、普通の仕事をしながら、神のために働くことも含みます。それぞれは、制度で決まっていたり強制されるものではなく、自分と神との個人的な関係の中で決めることです。
お知らせで書いておられるように、桜蘭さんは書くことがイヤになったり、時間がとれなくなったから、サイト閉鎖を決意したのではなりません。
たぶん、今桜蘭さんの心を占めているのは、イエス・キリストだけなのだと思います。キリスト教の信仰というのは、遠い理想をかかげるものでもなく、教えを奉じるものではなく、神から与えられたリアルな実体験です。そのリアルな神の愛ゆえに、彼女は彼女にしかできない方法で、神に従い続ける生き方を定めたのだと思います。
サイト閉鎖のもうひとつの理由は、小説の中で逸脱した性描写をすることが、神の御心に反すると示されたからだとおっしゃっています(「示される」とは、聖書のみことばによって、また祈りの中で、神から教えられることです)。
性そのものが神の御心に反するのではありません。むしろ祝福です。しかし、結婚という神の定められた結びつきを経ずに性行為を持つことは、キリスト教では明らかな罪です。
(当サイトでも、性描写に関しては一定の基準を持っていますが、それでも迷うことが多く、間違った誘惑に駆られることも多いのです。私が道をはずれないようにお祈りください。)
実は私は今、桜蘭さんにサイト閉鎖を思いとどまるように引き止めたい気持でいっぱいです。
性描写を含まない作品だけを残せばいいのでは? その部分を改稿すればいいのでは?
そう説得したいほど、「乱れ雪月花」の閉鎖と、そこに掲載されていた神の愛に満ちあふれた小説を失うことは残念です。
でもそれをしてしまうことは、彼女が苦渋の中で身を切られるような思いでくだした決意に、水をさすことになります。
私も若い頃、ひとつの体験をしました。
中学生のときから小説を書き続け、一生書き続けたいと願っていたのです。いつも鉛筆を握っていたので、ペンだこもすごく大きくなりました。
しかし大学のとき、あまりにも書くことにのめりこみ、自分の描く登場人物を愛するあまり、自分の優先順位の中で、神への思いがはるか下になっていることを示されました。
私はそのとき、文字どおりはらわたを引き裂かれるような痛みを感じながら、書くことを断念しました。
それから二十数年経ったあとに、サイトトップに掲げてある聖書のことばをいただき、まさか小説サイトを開くことになるとは。
たぶん、私にとってこのブランクは必要な時でした。あの頃抱いていたナルシズムに似た偏愛はなくなり、自分の書いたものを客観的に見ることができるようになったことも、神の訓練期間だったと思います。
新しい出発をする桜蘭さんにエールを送ります。
与えられた道を迷わずに進んでください。もしいつか、小説をとおして語りなさいと神がおっしゃるときが来たら、そのときは、イヤでも(笑)戻ってきてください。
私もそれまで、与えられたこの場で書き続けたいと思います。