このところ、テレビやいろいろなメディアで「認知症」についての特集を見聞きします。
実際は興味があるから、目につくだけなのかもしれませんが。
かくいうBUTAPENNの家族にも、認知症と診断された者がおります。打ち明けて言うならば、同居している主人の母です。
まだ症状から言うと、初期の段階です。徘徊もなく、トイレ・食事・風呂など身の回りのことは全部、自分でできます。だから、介護保険の介護度は、「要支援1」の段階です。
けれど、先日見たテレビ番組によれば、家族の葛藤と混乱が一番大きいのは、この初期の段階だと言うのです。
外見ではほとんど変わらないし、人前でもしっかりした物言いをする。けれど、家族が見ていると明らかに異常なことが次々と起こるのです。
一番ショックを受けるのは、長年連れ添ってきた配偶者です。なにしろ五分前に言ったことの記憶が、もうないのですから。
激しい怒りと叱責と、その後に必ず来る自己嫌悪と。
かくいう私も、誰かに質問されたとき、「たいしたことない、大丈夫」と答えるときと、「もう大変」と答えるときの両方があり、自分でも混乱してるなと思います。
今まで認知症は、自分を甘やかして生きてきた人が罹るものだという偏見がありました。
会社ではバリバリ働いても、創造的な趣味もなく、地域との交流もなく、生きがいもない人。そういう人が年老いて罹る病気が、認知症だと思っていました。
けれど、義母は、180度その逆の生き方をしてきた人なのです。
それだけに、こわい。
認知症は、いつ誰が罹っても不思議ではない病気だと、あらためて認識させられました。
それと同時に、いったん認知症に罹ったら絶望だけが待っているのではないことも、また事実だと知りました。
人間の本質に関わる病気だけに、本人にも介護する家族にも、ホンネの生き方が問われるのだろうと思います。
そして家族の協力がなによりも重要なのだと思います。
そう考えると、これは人生の終盤に向かって、やりがいのある戦いなのかもしれません。
このブログで、「認知症」というカテゴリを新しく設けました。
かつては、身内で隠していた病気なのかもしれません。ブログの話題としては重過ぎるのかもしれません。けれど、今は声高に話し合うことが必要だと思うのです。
これまでの経過を書き留めることによって、わたし自身の記憶の整理にもなります。情報の共有の場にもなればよいと思っています。
ただのグチや自己正当化になることも、多々あるかと思いますが、そのときは笑って見逃してやってくださいませ。
お久しぶりです。
でも、サイトは時々見ておりました。
実は私の亡き祖父も、亡くなる1ヶ月前に発症しました。
しかしすでに動けぬほど衰えていたので
大きな葛藤はありませんでした。
でも、もっと優しくしてあげてたら良かったと後悔しております。
次に周囲に認知症の人が現れた時は、ベストを尽くしたいです。
一方で、いつか自分も認知症で周囲に迷惑をかけるかも、と
時折心配になります。私も脳トレしなくっちゃ。
何か認知症でよい情報などがあればお知らせしますね。
Granatusさん、書き込みありがとうございます。
お祖父さまを看取るときは、さぞお辛かったでしょうね。
人間が最後まで尊厳を持って死ぬというのは、ときにはむずかしいときがあります。家族がその弱さを受け入れるのは、並大抵ではない苦痛でしょう。
けれど、「こうさせているのは認知症の症状なのだ」と知っているだけで、だいぶ違うと思います。
認知症の予防に大切なのは、まず「運動、食事、人間関係」らしいですよ。
個人的には、「恋愛」とか「萌え」というのも大事な要素ではないかと思っておりますが(笑)。