お暑うございます。
関西は今日も最高予想気温36度。エアコンを我慢することが地球のためによいとわかっていても、我慢できません。たとえ明日の人類が滅びても、今の暑さを何とかしてくれと言いたくなります。いや、人間というのは生来、我が身を滅ぼす生き物ですな。
ところで、おとといのニュースで、この暑さに油を注ぐような記事を見ました。少し長いですが、読売オンラインの記事を引用します。
7割の人が「憮然=腹立て」と誤用、文化庁の国語世論調査
7月24日22時2分配信 読売新聞
日本語の慣用句や言葉の使い方について、文化庁が世論調査した結果、70%以上の人が「檄(げき)を飛ばす」や「憮然(ぶぜん)」の本来の意味を取り違えていたことがわかった。
議論などで結果が出る「煮詰まる」についても、40%近くが「議論が行き詰まり結論が出せない状態になること」と逆の意味に思い込んでいた。
調査は今年3月、全国の16歳以上の男女3445人を対象に行われた。
「檄を飛ばす」は「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求める」というのが本来の意味。選択肢の中から正答を選んだのは19%にとどまり、73%が「元気のない者に刺激を与えて活気づけること」と回答した。「憮然」についても「腹を立てている様子」と誤った答えを選んだ人が71%に上り、「失望してぼんやりしている様子」と理解している人は17%だけだった。
また「卑劣な方法で失敗させられる」という意味の慣用句は「足をすくわれる」が正しい答えだが、74%の人が「足下をすくわれる」と回答、「足元を見る」という表現と混同していた。
「話などの要点」を意味する「さわり」も正しく回答したのは35%で、55%は「話などの最初の部分」と勘違いしていた。特に「煮詰まる」は世代間で使い方に大きな開きがあり、「結論の出る状態」とする回答は50歳以上は70%を超えたのに対し、16歳から19歳は16%だった。
なるほど。確かに間違いやすいものばかりです。「檄を飛ばす」などというのは、実は私も過去に誤用しそうになった言葉。「檄」という漢字の字面が、「激励」と混同しやすいんでしょうね。
ただ、言葉というのは時代の流れを映す鏡だなと、同時に感じるものもありました。
「煮詰まる=議論のこう着状態」という誤用は、そこまで議論を突き詰めたことのない、今の時代を反映していたり。
「さわり=最初の部分」と感じるのも、「つかみがOK」でないと見向きもしてもらえないインスタント時代を反映しているとも言えます。
で、ここからが本題なのですが。
この中の「憮然」ということば。これは十代よりも五十代の誤用が多いとNHKのニュースでは指摘されていたことばです。
そして、まぎれもなくアラフィーの私も、「憮然と」を「腹を立ててむっつりしている様子」だと解釈して、今まで小説を書いてきました。
試しにトップページに置いてある「サイト内検索」で「憮然」をかけてみると、出てくるわ出てくるわ、14件。すべて、誤用と言われてもしかたのない使い方をしています。
これが誤用だとすると、ちょっとショックなのです。
確かに字から考えても「心を無くした状態」。つまり、失望してぼんやりしている様子がもともとの意味であったことは推測できます。
「ぶぜん」という音や語感が、「無愛想な」「不機嫌な」「ぶすっとした」「むっつりとした」という語と混同されて、今まで来てしまったのだろうなとも思います。
ただし、ここまで世代を重ねてきた用法が、今さら誤用と言われてもなあ、と戸惑うばかり。
言い換えは可能です。しかし、どれもぴんと来ない。「憮然」ということばにこめていた私のイメージ――特に男性が、目の前の状況を憤っているにもかかわらず、その不満を言葉にせずに、表情に表わしている状態――が、「無愛想」や「ぶすっとした」では表わせないのです。
ちなみに、三省堂「大辞林 第二版」では、「思いどおりにならなくて不満なさま」という語意が一番にきています。さすがに他の権威ある辞書では(笑)、その意味が載っているものはありませんが。
また手許にあった藤沢周平の「遠方より来る」(「雪明り」収録)という短編には、
黙っていると、いきなり尻をつねられた。
「おまえさまは、お人が好いから」
尻をつねられて、甚平は憮然として台所を出た。甚平が、いかに仕官を焦ったとはいえ、足軽に身を落としたのはどういうものだったかと、後悔に似た気分を味わうのはこういうときである。
・・・(中略)・・・
いまも、亭主の尻をつねるとは何ごとかと、むっとしたが、しかし昔は昔、足軽がそう固いことを言ってもはじまらない気もした。
とあります。
前後の状況から見て、主人公が驚いたり失望しているというよりも、むっとした、妻の行動を腹に据えかねた気分であることは、間違いないような気がします。
もちろん有名作家なら誤用はしないというわけではないのですが、それだけ市民権を得た用法であると思いたいのです。
しかし、これからどうすればよいのでしょうか。
違いすぎるふたつの意味が混在する言葉というのは、使いにくいこと、このうえない。
……いやいや、これからも「憮然=腹の立つ」が晴れて市民権を得るまで、使ってまいりましょう。
当サイトでは、今までもこれからも、「憮然」は「腹を立てた」状態を表わしています。
ぶすっとした、ぶたぺんは、憮然として言い放つのであります。
憮然はあなたの使い方に賛成です。檄をとばすについても、73%に はいるのが私の見解です。間違いでしょうか?
檄を飛ばすの誤用は漢文学に馴染みのある身からすれば「えええっ?」というところでしたが、漢文素養が昔程重要でなくなっている現代では、管理人さんの見解が一般的なのかも知れませんね。個人的にはものすごく恰好良いんですが。中国古代ものの読みすぎかも(笑)
時々「ことばおじさん」なるNHKの番組を見て居ます。中々勉強になることが凝縮されているので、面白いですね。お金がなかった学生時代、良く国語辞書を読んでましたが、それでもちゃんとした意味を忘れてたりとか、細かい使い分けを出来ていなかったりするものもあるので、勉強しなおすべきかも知れません(笑)
檄を飛ばすとかは、新聞等では『意を同じくする者への応援』みたいな使われ方をしていますから、『檄文』という存在を知らなければ、なるほど誤用もありうるな、と思いますが、誤用といえばコンプレックスだってそうだし、某所のノイズレスだって多いし(うん、あれはコメントも含めてカルチャーショックだった)、まあ、時代の流れには逆らえない気はします。
憮然は高校の頃国語辞典で確認して、その用法がピンと来なかった事を覚えています。文脈からくる言葉の感じと、辞書に載っている意味が合わない事って多くありません? そして、そのうち、辞書の改訂版に新しい意味が載っていたりする訳です。その点は三省堂が一番反応が速いと云う話を聞いた事があります。
はじめまして。
一つの言葉が全く違う二つの意味を持つのは良くあることですが、使いにくいですよね。
文脈の中でどっちの意味か分かるようにできれば一番いいのでしょうが。
既に「確信犯」などはメジャーな誤用となり、誤用すると必ずどっかからツッコミが入るほどになってしまいましたが、「憮然」はどうなるのか、今後の推移を見守るといったところでしょうか。
>じゅんこさん
アラエイティーのあなたがおっしゃるなら、それは重みがありますね。もうひとりのアラエイティーさまは、何とおっしゃってるでしょうか(マルクスに傾倒してたから、「檄を飛ばす」はちゃんと正解のほうを知ってるかもしれないな)
>篁さん
あとで我輩さんがおっしゃってるように、「檄文」だと私もその通りに理解しているので、私自身が、用法についてかなり混乱してるのかもしれません。
これは私の勝手な解釈ですが、他に適当な言葉が存在しない場合は、言葉の誤用が「要求されて」しまうという現象が起こるのではないかと思います。それに、「ゲキヲ、トバス」という音の力強さが、「同士を鼓舞する」という意味にぴったりに感じられたのではないでしょうか。
でも、漢文学に詳しい人には、気持の悪い誤用なのでしょうね。
私も昔は辞書を読んでいました。英和辞典のほうが好きでしたが、国語の辞書もよく読みました。
今はネットで目的のことばだけ検索するので、辞書を読むというぜいたくな娯楽がなくなってしまいました。
>第48代さん
48歳のあなたが言うのだから――(え、歳じゃない?)。
確かに「檄文」から考えていけば、「檄を飛ばす」の意味も明らかですね。カタカナ語というのは、どうしたって意味が歪められるもので、しかたないですね。そういう意味では漢字なんて、外来語として歪められてきた最たるものだったのでしょう。
「ピンとこない」というのは言葉が感覚的に捉えられないわけで、これはけっこう辛いものがあります。ことばを音の流れではなく、方程式みたいに代入していく文章なんて書きたくないですから。
しかし、これで「憮然と」が使いづらくなったのは、確かですね。
果たして五十年後はどうなっているやら。
百歳まで長生きして、この続きでも書きましょうかね。
>児斗玉文章さん、はじめまして
「ことだま」さんとお読みすればよいでしょうか。
ひとつの言葉にふたつの意味が存在する。人を惑わす、ことばの奥深い魔力ですね。文脈で判断するしかありません。
「確信犯」もメジャー級ですが、誤用の代表としてよく言われる「気のおけない人」や「情けは人のためならず」は、まったく正反対の意味になってしまっているわけで、これは共存することは絶対に不可能です。どちらかが滅びなければなりません。
憮然の場合も、「ぼんやり」と「むっつり」が共存するのは、かなりむずかしいことに思えます。普通ならば誤用とされたほうが滅びていくのでしょうが、私がことさらに誤用にこだわるのは、適当な言い換えができないという点なのです。
正解の「憮然」には、「呆然」「茫然」「悄然」などのバラエティがあるのに対して、誤用の「憮然」には、そのバラエティが見当たりません。
「憮然」の誤用は、滅ぼすにはあまりに便利な言葉だと私は主張したいのです。
今後どうなっていくか、いっしょに見守っていきましょう。書き込みありがとうございました。
姉御、こんにちはっ。
憮然はホントに困りますよね。それこそ「憮然」としてしまうほど。
私もこの発表の少し前に気付いて修正したのですが、いっそのこと全部「ブータレて」に変えようかと思ったほど、しっくりする言い換えの言葉がありませんでした。
私も本当はそのまま使いたかったのですが、どこからか指摘が飛んで来るのも辛いな、と思って、結局置き換えました。
「憤懣やるかたない様子で」なんて長ったらしい言葉にしたものもありますが、やっぱり二文字ぐらいの完結な言葉で表したいです。
おおっ。すべて訂正したのですか。
私はとてもそんな気力ありまへん。それにほんと、適当な言い換え候補が出てこないのです。
「憮然」ということばが持つ固さが、ほかの「むっとした」とか「不機嫌な」では、消えてしまう。でも、「ぶーたれて」は別の意味でいいですなあ(笑)。
指摘が実際にあったら、私もぐらついてしまうかもしれません。そのときに備えての今回の宣言でした。
しかし14件というのは、さすがに、表現ワンパターンか。
憮然は私も今日ニュースで聞いて初めて知りました。
私の中でもむっとへの字口になって押し黙る人が浮かぶ言葉なので呆然としているイメージはありませんでした。
檄を飛ばす、は吉川英治版三国志を読んでいたのでなんとなく正しい意味合いで捉えていましたがそれが無ければわからなかっただろうなと思います。
余談ですが、吉川英治の三国志でよく「やんぬるかな」という台詞が出てくるのですが、コレは「嫌になるなあ」とか言う意味ではなく「もう駄目だ!」という絶望の言葉だということを随分後になって知ってカルチャーショックを受けた覚えがあります。絶体絶命の危機で出る言葉にしては柔らかいなあとすこし不思議に思っていたのですが、当時の私にはさっぱりわかりませんでした。
言葉って難しい(涙)
なるほど、「むっとへの字口」というのが、「憮然」の映像にはぴったり来ますね。
私は中国文学が嫌いですっとばしてきているので、かなり教養に偏りがあります。「三国志」と言えば、うちの息子のようなマンガやゲーム好きな世代のほうが、「檄」の本当の意味をしっかり把握してるかもしれません。
「やんぬるかな」は、私には、火に包まれた天守閣で仁王立ちになって言うようなイメージがありました。子どもの頃に見た何かのドラマのワンシーンでしょうか?
ドラマや小説で意味もわからずにインプットされる言葉のイメージって、とても強いのかもしれません。
私も新聞でこれ見て「どうしよう(笑)」と思った。憮然は確実にね。使うよね。そういう意味で。
プロの作家からしてすでに違ってるもの。絶対使ってるって。
>当サイトでは、今までもこれからも、「憮然」は「腹を立てた」状態を表わしています。
かっこいい(笑)。うちもうちも。
つーか、お久しぶりです。でしめくくる…。
いや、お久しぶり。
しかし、これだけ反響があるとは。
こうなったら、「憮然同盟」でも作りますか。「憮然」と大書したバナーを作って配布する(笑)。月世さん、憮然とした表情の男でも描いてください。
今更ですが、このニュースを読んだ時に、私も間違ってたものが少し…と、内心、忸怩たるものがありましたので。
時代と共に、言葉に新しい意味が出てくるのは、当たり前の事なので、神経質に目くじらを立てる事ではないですね。
ただ、同時に、日本語を使う者として、本来の意味も知った上で、というのが大前提だとも思います。
憮然は、随分前から、むっとしていると誤用されている単語ですね。
意外な出来事に遭遇して、一瞬ぼうっとしてしまうという意味もあるので、私はそちらで使う事が多いです。
一応、私個人としては、昔から知っていたので、今後も怒るという意味では使わない方針ですが、これだけ多くの人が新しい意味の方で認識しているのなら、むっとするも新しく加えて良いかと考えています。
黒司祭さん、久しぶりに書き込みありがとうございます。
この記事を書いてからも、いろいろ考えています。
言葉の誤用には、音から来る混同がけっこうありますね。この「憮然」などはまさにそうで、漢字を見れば間違わないであろうものが、「ぶぜん」という語感に、私の少し上の世代の人間は「怒り」に通じるものを感じてしまったのだろうと思います。
しかし、なんとも困ったことに、若い人たちはしっかり正しい意味を理解しているのですね。黒司祭さんもその中のおひとりでしょう(若いかどうかは存じ上げませんが)。してみると、数十年後、「憮然=腹立ち」という用法は廃れることは目に見えていますね。
「これは昭和時代はこういう意味だったのだよ」と、古文の時間に習うようになるのかもしれないですねえ。