明日、私の父が心臓の手術を受けます。
心臓の弁をひとつ、動物の臓器で作った生体弁に取り替えて、ついでに、細くなっている血管のバイパス手術も同時に行なうという難易度の高さですが、成功率は90%だとか。うーん、現代の医学はすごいなあ。
でも、確率は確率で、命というのはオールオアナッシング。82歳の高齢ということもあり、すべては神の御手の中に握られていることを思います。
このところ毎日病院に行き、談話室で父の昔話を聞いています。
大阪で、知り合いの小料理屋を営む家に下宿していたとき、明治屋のジャムがたくさんあって毎日舐めていたので、戦争中にも関わらず太ったこととか。
貿易商の父親の女性遍歴や、終戦のとき財産を全部没収されたこと。家には有田焼の高価なお皿がたくさんあったが、戦中戦後の食料難で全部切り売りしてしまったこと。
上海の大学に留学して、半年で現地召集されたこと。蘇州で終戦を迎えて、現地解散になったときに、十キロのお米を支給されたこと。
何度も聞いた話で、一部は小説のネタにしたほどですが(「手をのばして」という短編です)、今度こそ最後かもしれないと思いながら聞きました(笑)。
私は一人娘なので、かなりのファザコンだと自認しています。
なにせ結婚式の数日前まで、いっしょにお風呂に入っていたのですから。今考えると、卒倒するくらいありえない話。24歳のその頃は、それが普通だと思っていたんですね。
父は結婚式では泣かなかったけど、何日かして、車を運転しながら号泣していたそうです。
どんなに長寿に恵まれても、やがて父という人間の肉体も、記憶も、この世界から消えてしまいます。それを覚えているべきひとり娘の私も、やがて時が来れば消えていくでしょう。
けれど、たとえどんなに小さな存在でも、神の御前に覚えられているということは大きな慰めです。
手術が上手く行きますように。サイトなんて放っといて、しっかり看病して下さい。
それにしても、そんなに可愛がられた女将さんなんて想像が出来ませんねえ。まあ、どんな年寄りも、それになり可愛かった時代があったって事で。
そうそう、外国では今でもサウナなんか家族みんなで入るらしいですよ。日本ぐらいですね、急速に変わったのは。
第48代さん、ありがとうございます。
結局、手術は心膜炎という予想外の事態に、三時間も長くなってしまいました。バイパス手術も、細い血管一本にしか施すことができず。出血の危険があって、まだ予断を許さない状態と言われて、昨夜は生きた心地がしませんでした。
今朝、自力呼吸に戻り、午後は酸素マスクも外されていました。意識も夢うつつですが、はっきり戻りつつあります。
私にだって、かわいい少女時代があったんですねえ。自分でも信じられませんが。
あのころは父親と風呂に入るのが、当然と思ってました。誰も教えてくれなかったんだもん。
高齢だと予想外の事が起こるので、なんとか切り抜けられたようで何よりです。今後もいろいろマイナーなトラブルはあると思いますが、是非とも冷静に対処して下さい。ただ、お義母さん、お義父さんの面倒も見なければならずに大変でしょうから、くれぐれも無理をなされないように。
あたたかい言葉ありがとうございます。
順調な回復のようで、行くたびに体の管が一本ずつ減っています。
私の方は、とても元気なのですが、ちょっと疲れが出ているようです。