今日は、阪神淡路大震災から15年目の追悼記念日です。
私の行っている教会でも、今朝は記念の礼拝を持ち、被災した人々のために祈りました。
その中で、当時よく歌われた聖歌397番の「とおきくにや」(関東大震災のとき、大阪在住のマーティンという教師が作った賛美歌)を歌い、詩篇46篇が読まれました。
神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。(詩篇46篇1―3節)
幸い、私の親族や知人の中に亡くなった人はいませんが、身の回りにいる多くの人が家を失い(私の主人の実家も含めます)、大変な月日を過ごしました。高校のPTAをしていたとき、同じ地域の中でどれだけの人が二重ローンや失職のため困窮の中に過ごしておられるかも、その結果訪れた環境の変化に苦しんでおられるかも知りました。
私自身は、地震の瞬間とその後の数年を別の土地で暮らしていたため、本当の意味で震災を知ってはいないのかもしれません。だからこそ震災をテーマにした小説を書くことができるのかもしれません。震災の瞬間を体験した人の中には、もう話題にしてほしくないという人も大勢います。
それでも、15年経った今だから考えておきたいことがあります。
全国の方の支援を受け、今もなお追悼していただいている阪神の被災者に比べて、地震や大事故以外の理由で家族を失って、人知れず涙にくれている人が今どれだけいるか。その方たちの苦しみも小さくはないことを覚えずして、阪神大震災の追悼は終わりません。
そして今、ハイチというカリブ海のひとつの国が地震で壊滅状態にあることは、兵庫県民にとって決して無縁ではありません。被災者だからこそ、彼らの絶望と混乱と、足の力が抜けていくような虚脱感がわかるはず。
日本政府は、ハイチ地震への素早い対応ができなかったことで非難を浴びていますが、今からでも遅くありません。政府などに頼ってはおれません。兵庫の被災者こそが積極的に手を差し出すときではないでしょうか。