露天風呂で殺人が起こった。
被害者は男性。死因は撲殺。緑色のバスタオルを腰に巻きつけ、手に双眼鏡を持って事切れていた。
「板塀の外で大きな物音が聞こえたので、思わず胸を隠したの」
当時入浴中だった、まあぷる嬢は証言する。セオリーどおりの巨乳美女。ちょっとうらやましい。
それにしても、殺人の動機は何だろう。巨乳好きの覗き魔を見つけた誰かが、正義の鉄槌をくだしたのだろうか。確かに今は他人の罪悪に極端に不寛容な時代だ。誰もが審判者になりたがる。
思えば、時計の針が止まったような日々だった。
あれ以来、日本中が鬱積したものを抱えている。ガイガーカウンターならぬ絶望カウンターがあれば、たちまち針が振り切れてしまうだろう。
無力感と焦燥と、誰に向けてよいかわからない怒りにさいなまれていた人々は、いつしか、『毒をもって毒を制す、放射能をもって放射能に立ち向かおう』と言い交わして温泉に繰り出し、たちまち日本全土が「ゆけむり」ブームに沸いた。
科学的根拠はともかく、湯治が悪いことであるはずはない。かくいう私も、ひとときの安らぎを求めて、ここに居合わせたひとりである。
その貴重な癒しの地で、こんな事件はゆるしがたい。
眉根を寄せて考え込んでいる私に、
「ワン」
と犬が駆け寄ってきた。私の相棒、元警察犬のsleepdogだ。
匂いをたどっているうちに、庭木にひっかかっていた紙片を何枚か見つけたという。
苦労してつなぎ合わせると、それは星座表の一部だった。
「もしや」
私はもう一度、被害者の所持品を調べてみた。露天風呂を覗くための双眼鏡だと思っていたものは、実は星を観察するための広角機能を備えていたのだった。
「みんな、希望を失うな。泣きたいときは夜空の星を見上げようぜ」
被害者は、私たちにそう訴えたかったのかもしれない。締めつけられるような思いで、私は満天の星々を見上げた。
高橋真梨子の心に沁みるハスキーな歌声がどこからか響いてくる。
「ワンワン」
sleepdogが、私の着物のすそを引いた。
え、まだエンディングテーマを流すな。犯人はどうした。事件は何も解決してないって?
待てよ、もし被害者が覗き魔でないとすると、いったい殺した理由は何だろう。
空を覗かれて困る人物――まさか、宇宙人?
「ま、いいか。お風呂に入ってこようっと」
第一、千文字で殺人事件を解決するなんて、そんな芸当、ホームズにだってできるわけないでしょ。
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sleepdogさんのブログ「マイクロスコピック」で募集中の「希望の超短編」参加作。
ツイッターでのやりとりから生まれたお遊び掌編です。これが「希望の超短編」なのかどうかは疑問ですが(笑)。