今日「公子の縁談」(1)をアップしました。東北関東震災後はじめてのレギュラー更新です。
本当にお待たせしました。もうお話が書けないんじゃないかというくらい、何も手につかない状態から、「希望の超短編」への投稿をとおして、少しずつ書くことを取り戻せたようです。
今日、知人とおしゃべりしてきたのですが、この震災のニュースを見聞きしているうちに、うつ状態がひどくなった方がおられるようです。知人も、イライラして夫婦喧嘩をしてしまったと言っていました。阪神大震災の記憶がよびさまされ、つらい思いをしている方もいらっしゃいます。こんなふうに、停電も食糧不足もなく何の被害もない関西でさえ、動揺しています。
「何かしたい!」「でも、何もできない」という無力感と罪悪感が人々を覆っています。
そんな中で私も、現実のあまりの重さに、架空の世界に遊ぶことができなくなったのかもしれません。
ですが私たちオンライン作家は、結局は創作でしか何かをなしえない無力な者です。その力を、今は全身全霊で取り戻すべきなのだと思います。
私のつたない小説で、被災地の人を元気づけられるなどとは思いません。けれど、たったひとつの文章でいいから、読む人の心に触れられたら本望です。サイトを開いたときの、その原点に立ち戻りたいと思います。
今は無理ですが、いずれ時が来たら、被災地のために、もっと具体的に何かをなせるときがくるはず。そのときのために力をたくわえておきます。
風評被害の大打撃を受けている被災地の野菜や牛乳や名産品を、たくさん買いたいです。
観光産業を壊滅させないためにも、落ち着いたら、東北の温泉に行きたいです。
これらは、何か月、何年もかかる息の長い支援です。
うちの教会でも、小学生や中高生たちが、「私たちにできることはないか」と会議を開いて話し合っています。すばらしいアイディアが出てくると期待しています。
阪神淡路大震災のときもそうだったように、いずれ、全世界から多くのボランティアが訪れ、東北各地の教会を拠点として、活動がなされることでしょう。
今はただ、祈りたいと思います。
原発の修復にかかわっておられるすべての方に力と知恵を。
自衛隊や各国の救援隊。警察や消防士、食糧や物資を運んでおられるドライバーの方や、宅配・郵便配達の方が守られますように。
被災地であろうがなかろうが、すべての人が、隣にいる人を愛するために何かをなすことができますように。
6 thoughts on “何ができる?”
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こんばんは。先日ツイッターでもお話したように、私も体調の悪い日が続き、体重も減り、自分の作品にも向き合えない日々を過ごしていました。
被災地の方達から比べれば、余震や計画停電、物不足くらいで、大した被害もなく過ごせているというのに、なんて贅沢な悩みなんだろうとつらくなることにも罪悪感を持っていました。でも皆さん同じように感じていたのですね。
butapennさんのブログを読んで、何か心のつかえが取れたような気がしました。これから自分にできることは何かということに、真摯に向き合っていきたいと思っています。
野いちごの話、ごちそうさまでした。
10日ぐらい前に某雑誌の編集に『カルシウムを食べよう』というキャンペーンを提案したのですが、伝わらなかったなあ。住んでいる人間は分からないけど、東京のマスコミ連中は、どうにもならない大災害にイライラしてスケープゴートを捜しているんですよねえ。それで後知恵で『こうすれば良かった』という理不尽な文句をつけていますが、これって、ただでされ未曾有の災害でいっぱいいっぱいの官邸(誰がやっても、どの政党がやっても同じというか、今の内閣よりも後手後手に回っている可能性の方が高い)に余計なプレッシャーを与えて、それこそ重大な判断ミスを誘発しかねないんですよね(記者会見での記者の態度も酷かったし)。なので、
『カルシウムを食べましょう』
キャンペーンが必要なのです。
少なくとも理工系の僕から見ると、震災発生から今に至るまで、原発対策(現場)は殆ど無駄がありません。むしろ、これが他の国だったら、既に原発は全く手に負えない状態になっていた筈です。今の状態まで持って来ているのが(それこそはやぶさじゃないけど)奇蹟に近い。そのくらいの事を現場はやっているのだから、情報が出て来ないのは当たり前です現場が目の前の事に忙しくて、情報を出すような余裕がある筈がありません。こんなの修羅場を経験した事のある理工系の人間には当たりまえの事です。
禍があるときは、『もっと悪かって事だってあるんだ、それに比べればマシだ』って思うのが精神衛生上良いとされます。例えば、これが阿部内閣だったらどうか? 例えば震災が真冬だったらどうか? 例えば震災が夏の海水浴シーズンだったらどうか? 例えば震災が金曜でなく他の平日だったらどうか? 例えば震災が阪神大震災のように明け方前だったらどうか? 1000年に一度の震災は、一番被害が少なくて済む季節と時刻に起こってくれたんですよ。
>ナノハさん
私からすると、被災者ではないけれどナノハさんも大変ですよ。停電、食料と水不足、たえまない余震で夜もぐっすり寝られず、私なら創作どころか、毎日泣いています。
ようやく、このところ、オンラインのみなさんがゆっくりと動き始めたという感じがします。日本中がひとつの苦しみを共有して、今までよりももっと強い連帯感も生まれてくるはず。日本はいい国になります。これからが勝負ですよ。
>第48代我輩さん
お話のヒントありがとうございました。本当はセルジュの母親のエピソードも入れたかったのですが、入りませんでしたよ。
今のマスコミは、震災全体に対するやるせない気持ちが、全部怒りとなって東電や政府に向かっている感じですね。天災ならば諦めるしかないけれど、怒りの矛先がはっきりしているほうが精神衛生上良いのか悪いのか。
カルシウムを取りたくても牛乳が足りないんです。
想定外のできごとの連続に、臨機応変に対処するという意味では、まさに、福島原発で行われていることは、「はやぶさ」に匹敵すると思います。
地震が起こった時刻については、私も同じことを思っていました。夜や早朝だったら、もっと逃げるのが遅れたはずだし、学校にまだ子どもがいる時刻だったことも避難には有益だった(そのかわり家族がばらばらになってしまったのですが)。
季節も、春に向かっていくし、これから一番電力需要が減る数か月に、なんとか脱原発の対策を立ててほしいです。
こんにちは。
風評被害には、困ったものですよね。
今のマスコミは後だしジャンケンで「勝った」と言いたいようですが、
理工系ではないものの、私も、「これがトラブったままだと、明日新聞に載ってしまう」という修羅場が発生しがちな(実際、今同種の会社が社会に大迷惑かけてます)現場な職場に勤めていたことがあるので、第48代我輩さんの意見に賛成です。
今はまだ現場は修羅場。 マスコミにスミからスミまでわかりやすく説明できる人を現場以外のところで遊ばせておく余裕があるとも思えませんし、伝えるべきことは伝えているとも思います。 むしろ、情報を噛み砕いて説明するどころか煽っているマスコミのほうが問題でしょう。
怒りに任せて、「マスコミのほうが悪い」とか、「あたしは野菜を食べるよ」と、日記のほうのブログに書いたら、 内緒のコメントで『政府はマスコミと結託して何かをかくしているのだから、信用しちゃいかん』という、内容の内緒のコメントを複数の匿名さんからいただきました。
匿名さんがなんといおうと、馬鹿にしようと、私は野菜を買いますです。
言葉は言霊。 たいしたことはできませんが、私は、自分の作る言葉は、文字であれ声であれ、他人を傷つけるのではなく、人を元気にする方向で使っていきないなと、今回のことであたらめて思いました。
とりあえずできることとして、まずはチャリティ本(私も参加します)と今書いている話を頑張ろうと思ったしだいです。
.>koharuさん
私も、「政府は何か隠している」「政府と大企業は常に悪」という先入観だけに囚われてしまうのは良くないなと思います。
疑心暗鬼という状態が続けば、微量の放射能よりもそのほうが体に悪い。平安と喜びに満たされている生活のほうが、健康的なはずですから。
私も福島の野菜がスーパーや通販などで売られたら、ぜひ買いたいです(千葉のとあるスーパーでは、すでに福島応援コーナーが始まっているそうですね)。そういう人は大勢いますよ、きっと。
チャリティ本、私も参加します。お互いに、文章を綴るという与えられた場でせいいっぱい努めましょうね。