いよいよ、ハロウィン当日です。今日中に何話書けますやら。
今日は、本当にお久しぶりのあのお話から。ちょっと長めです。
ハロウィン当日は、道場の稽古があるので、私たちは前日の日曜日にマンションでファミリーパーティをすることにした。
「ハロウィンのルーツは、アイルランドなんやで」
テーブルにグラタンやサラダを並べながら、逃げられない家族に向かって強制的にウンチクを傾ける。
「アイルランドでは、もともとジャック・オ・ランタンはカブで作っていたんやて。けど、カブは固くてくりぬきにくいし、ロウソクを燃やすとすごく臭いし、アメリカに渡ったアイリッシュたちがパンプキンで作るようになってからは、逆輸入されたって」
もっとも、ネットや雑誌の知識だから、とんでもない大間違いをしているかもしれない。
「ふうん」
小学校二年の聖だけが、頬杖をついて母の話を聞いてくれている。ニ歳半になったエリンは、キュウリやにんじんのスティックを両手に握ってポリポリ無心にかじっているし、北アイルランド生まれの夫は、彼女がこぼす食べクズを拾うのに忙しい。
ディーターは、子どものときにあまり恵まれた家庭生活を送れなかったので、こういう行事には、ひどく疎い。ひなまつりや七夕や七五三の祝い方は日本人並みによく知っているくせに、自分の生まれ故郷のお祭りの知識は、ほとんどないのだ。
だから、私がこういうケルティックなお祭りのまねごとを、せっせとやるのは、子どもたちのためでもあるけれど、何よりもディーターのためだった。なつかしい思い出ばかりでなく、つらいことまで引き出してしまうことがあるかもしれない。でも、愛する家族がいっしょの今なら、立ち向かえると信じているから。
カボチャランタンの明かりの中の、にぎやかなパーティ。
最後のデザートは、私が勘と度胸だけで作った「バーンブレック」というレーズンケーキだった。中に、こっそりいろんなおもちゃを仕込んであるのだ。
おもちゃの指輪やコイン、ボタンやそら豆など。
私のケーキは「早婚」を表す指輪が入っていて、「当たってるー」と大笑いした。ディーターと聖には「金持ちになれる」コインやそら豆が当たり、エリンには「独身」を意味するボタンが当たって、ディーターはなんだか、ほっとしたような顔をしていた。
おいおい、ファティ。二歳の娘を、もう嫁にやることを心配してるの?
開けていた窓から、さっと強い風が吹き込んできて、カボチャのロウソクが消えた。
明かりを消していた部屋は何も見えなくなる。
「え……なに、これ?」
気がつくと、あたりは広い草原だった。
空はほの暗く、でも真っ暗ではない。夜でもなく、昼でもなく、夜明けのような、たそがれのような、はざまの時間。
そう言えば、アイルランドでは、ハロウィンは、古い一年が終わり、新しい一年が始まる境目の日なのだと聞いた。
あの世との境目もあいまいになって、だから妖精や精霊が現れるのだと。
「ムッティ」
聖が不安そうな目をして、私の服のすそを引っ張っている。ディーターはエリンを抱き上げ、ひどく怖い顔をして私と目を合わせた。
「ねえ、夢だよね?」
「……わからない、でも」
ディーターはぐるりと、あたりを見回した。「ここは来たことがある」
草原のあちこちに、鬼火みたいなものが浮いている。丘の上では、空まで焦がすほどの大かがり火が焚かれていた。
ディーターは無言で歩き始めた。
かがり火のところまで登ったが、誰もいない。鬼火は私たちを避けるように、近づくにしたがって遠ざかっていく。
丘を越えると、中腹に一本の大木が見えた。その回りをぐるりと取り囲んでいるストーンサークル。
やはり、ここは北アイルランドなのだ。ローマ人やキリスト教がやってくる以前、古代ケルト人たちは、妖精が丘に住んでいると信じていた。
木の周りに、黒い煙のようなものがとぐろを巻いている。ものすごい敵意のオーラを感じる。
ディーターはエリンを私に抱かせると、「円香、俺のうしろに隠れていろ」と低く命じた。
聖はそのとき、ぱっと走り出したかと思うと、草むらから何かを拾い上げて戻ってきた。
「ファティ、これ」
一本の太い枝。ディーターは口元を緩めて、「よくやった」というようにうなずいた。
風がうなりをあげて吹きすぎ、大木はざわざわと揺れて、今にも私たちに襲いかかりそうだ。
三人が寄り添って見つめる中、彼は枝を刀かわりに黒い塊に向かってゆっくりと近づいていった。
次に目を開いたのは、朝の光が満ちる寝室だった。
「やっぱり、夢だったかーっ」
悔しくて、声に出してつぶやいた。
いいところだったな。もう少しで、ディーターがあの黒いのをやっつけるクライマックスだったのに。
あの黒い塊は、もしかすると、ディーターの過去を象徴しているのかもしれない。彼がそれにひとりで立ち向かうのを、家族はじっと見守ろうという決意。うう、プロの臨床心理士にしては、あまりにもお粗末な夢分析だけど。
隣に寝ていたディーターも目を覚ました。
「ディーター、おはよ。あのね、すごく不思議な夢を見た。気がついたら草原のまんなかに立ってて」
ディーターはそれを聞いて、しばらく絶句していた。
「……それ、もしかして真ん中に大きな木がなかった?」
「ええっ」
「ファティ、ねえファティ」
聖がバタバタと、寝室に飛び込んできた。「あの黒いおばけ、やっつけたの?」
「ねえ、まさかこれって……」
――ハロウィンの、とても不思議な朝。