ねってはねかし、ねかしてはねる。そんな作業の繰り返しで夜が更けて行く。
この工房を開いてかれこれ十年。同期の多くが既に廃業・休眠している中にあって、いつしか老舗と呼ばれるようになった。なんとなくむず痒い。こうなると20年後、30年後に工房を訪れた人に、今と変わらぬ、いやもっと洗練されたものを提供したくなる。その研鑽のために日々睡眠時間を削る。いや、寝ないのは顧客サービスをやり過ぎるからかもしれない。
マンネリに堕することなく今の味を守ることはむずかしい。知らず知らずのうちに客の好みに合わせ、最近は十分に熟成させずに仕上げている気がする。
でも。
今日だけは違う。私は今、まったく新しい素材を使って準備をしている。過去の経験なぞ役に立たない。だが今の私には、これが必要なのだ。
ねってはねかし、ねかしてはねる。一世一代の大勝負。
その時だった。
もう寝るよ。
突如、手の中のものが宣言したのだ。
まさか、自分から勝手に熟成を始めたのか。
どうすることもできず、私は呆然と立ち尽くすのみ。発酵が過ぎると、ごく一部の人間しか楽しめないレアものとなってしまうのに。
十杯目のコーヒーが冷え切ったころ、夜が明ける。
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第90回タイトル競作参加作品です。会場はこちら(もう寝るよ。13)