「古き絵や 逢わず
−K」
空き巣の残したメッセージはそれだけだった。いや、怪盗というべきか? というのも、大学生の娘の部屋に入った形跡は明らかなのに、盗まれたものが見つからないからだ。メッセージからすると、なにやら古い絵を捜したと思われるが、心当たりはない。
翌日、娘に菊の花が贈られてきた。カードには、
『老いしある 永遠を問う わが肝に』
と書かれてある。娘が参加しているボランティアサークルの関係だろうか? ともかくも、この十七文字を見て、それまで怯えていた娘が急に元気を取り戻した。
夜、ふと見ると、軒先に短冊が吊るされている。
『恋敵は 秋駆けて 彼方に聞く』
絵柄はキウイ。恋敵とは穏やかでないな。そう思った矢先、今度は芭蕉の花が贈られて来た。
『酔えれば 夏憂さの苦 七色に射て』
翌日、娘は突然旅に出かけた。旅先から届いた世界遺産の絵ハガキには三句だけが書かれてあった。
『恋いしかる 経験を説く わが妹に』
『追い難いは愛 敢えて貴方に言う』
『よければ 夏草の 卯七キロに来て』
なるほど、キウイは「行く気」という意思表示だったのか。
何も気付かなかった私は、娘の幸せを祈るしかない。
————————————————————–
第110回タイトル競作参加作品です。会場はこちら(K6) 逆選王をいただきました。
難解だというご意見をいただいたので、解題を書いてみました。
続きからどうぞ。
僕の名前は景行「かげゆき」、彼女の名前は恵子。
僕たちははサークルで知り合ったその日から冗談を言い合う仲になっていた。というのも、僕の名前は「けいこー」とも読めて、それに比較すると「けいこ」発音は「ー」抜けだからだ。それで僕は彼女の事を間抜け間抜けといってはからかった。
そんな事を喜ぶ女は多くない。聞けば、彼女の両親はミステリーが好きで、その縁で結婚したぐらいのミステリーファンだそうだ。彼女もその影響を多分に受けて、特に最近は暗号ものにハマっていると言う。ともかく、彼女と僕とは名前の読み方で意気投合したという訳だ。
日本は古来よりミステリー大国だ。例えば和歌。感情の発露である万葉集と異なり、平安以来の和歌は、掛詞などの技術を駆使した31文字の言葉遊びの世界だ。恋ですら言葉遊びとして捉える感覚は現代人には理解し難いが、そもそもこの時代の恋の多くは、娘を深窓に隠して演出するものであったから、31文字の恋文も、この遊びのルールに従って不思議はない。少なくとも僕はそう思っている。そういう和歌の暗号をミステリーに昇華させたのが百人一首だ。これぞ古典ミステリーの極めつけではないか。日本が世界に先駆けたのは源氏物語という長編小説だけではない。ミステリーという分野も世界に先駆けているのだ。
名前の冗談に反応してくれる恵子は、そういう話をするのに恰好の相手だ。そうして我々は、日本古典のおける暗号を一緒に探求し始めた。例えば御伽草子。ミステリーは浦島太郎だけではない。鉢かつぎもものぐさ太郎も、冒頭にミステリーの答えが出ているのに、読者は最後までその意味に気付かない。ものぐさ太郎に至っては、中の句がすべて謎掛けである。このように、一つ一つミステリー・暗号視点で解題して行くと、避けて通れないのが俳句だ。17文字の謎を解く世界への挑戦は、思いのほか時間がかかった。
学生時代は容赦なく過ぎて行く。恵子も僕も何度か違う相手と恋愛を経験した。破局を繰り返すごとに、ただのサークル仲間だと思っていた僕たちの距離は確実に縮まっていった。
ある日、彼女の事をぼんやりと思っていた僕に、暗号俳句のアイデアが浮かんで来た。冗談ととられても、本気ととられても困らない文面。それでいて、俳句の暗号に新しい視点を提供する実験。どんな暗号にするか? メッセージは衝撃は高くなければならない。それでいて、暗号である事がわかる文面でなければならない。前者は、彼女の弟を買収する事で解決した。単なる手紙でなく、怪盗のメッセージという形にしたのだ。後者については、彼女と僕の共通の暗号が名前である事から、それを使う事にした。
僕は自分の名前で遊ぶほどだから、「けいこう」がKKと書ける事も知っている。一つ目のKは英語読みで、2つ目のKはドイツ語読みという訳だ。その事は彼女も知っている。つまり、暗号は間抜けの「ー」と僕の名前の「K」だ。2つを組み合わせると、Kを抜くという解読方法だ。まず、彼女に僕の気持ちを打ち明け、それでOKなら、行動を促す。行き先は俳句がらみで奥の細道の何処かということで、世界遺産に登録されたばかりの平泉を思いついた。
こうして暗号句を考え始めたが、これは難航した。表の意味と解読後の意味がどちらもきちんと通じる話にするのが難しいからだ。いろいろ挑戦して、Kを抜くだけでなく、1ヶ所だけ加えるのも認める事にしてみた。暗号は例外を一ヶ所だけ潜ませると極端に難しくなる。それこそ、ミステリー一家への挑戦に相応しいではないか。
彼女からのメッセージが軒先に下がった時は
「さすが、相棒」
と思わず拳を握りしめたものだ。こうして僕たちは無事に平泉の近くのキャンプ場で落ち合った。しかし、彼女の家族に無事を知らせるために出した絵はがきが、彼女の父親から公認まで引き出すことになるとは、想像もしていなかった。