あるとウザいけれど、ないと寂しいものが、人生にはいろいろある。
たとえば、踏切。マンハッタンには踏切が見当たらない。地下鉄や高架鉄道しか存在しないから、当然と言えば当然だ。
琴音さんと近所のスーパーに買い物に行くときは、いつも踏切を渡っていた。
ああ、しまった、また五分も待たなきゃなんないぞ、なんて愚痴りながら、バツ印の警報機を仰ぎ見る。
かんかんという不協和音、点滅する赤い光。
だめだ、だめだ、近づくなという警告が、ますます花の蜜みたいに人を引き寄せる。すぐ目の前を轟音を立てて走り抜けていく車両に、気を抜くと引きずり込まれてしまう。
思わず強く握りしめる琴音さんの手のやわらかさと暖かさは、俺を確かな鎖で縛りつけた。
イエローキャブがクラクションを鳴らしながら道路を猛スピードで駆け抜けていく。種々雑多な人間たちが横断歩道を早足で歩いていく。その流れの中に溶けてしまいそうになって、思わず琴音さんの手を捜している。
けれど、隣には誰もいない。
ああ。ここはニューヨークだった。
「CLOSE TO YOU 第4章」
お題使用。「瓢箪堂のお題倉庫」http://maruta.be/keren/3164