前触れなく、着信音が鳴った。
「彩音。今どこなの」
「ニューヨーク」
眠そうで素っ気ない返事に対抗するように、私は低い一本調子の声で問いかける。
「いつ帰ってくるの」
「当分は、ムリかな」
眼の奥がけいれんして、世界が揺らいだ。
「どうして……、そんな予定じゃなかったでしょ。個展の準備があるからって、一日でも早く帰らなきゃって―ー」
「琴音さん」
私の訴えなんかまったく聞いていないかのように、彼はことばを遮った。
「毎日が、新しいことばかりなんだ。一番いい色の組み合わせを決めるのに、何時間もかかってテストする――まるで混沌から星をひとつ創造するみたいな緻密さで。俺の絵のために、工房にいるみんなが真剣に議論してくれる。俺、今最高に幸せなんだよ」
じゃあ私は、どうなるの? 私は今、最高に不幸よ。
「……そういうの、よくわからないわ」
「たぶん理解できないよ。だって琴音さんは絵描きじゃないし」
タブン、理解デキナイヨ。
深い、底のないひび割れが、私と彩音のあいだに音を立てて走ったような気がした。
「気のすむまで……好きなようにすればいい!」
オフキーを押し、私は扉を押して、夜の街に飛び出した。
駅前のフラワーショップでは、店長さんが、バケツを店内に運びこんでいるところだった。
「あら、こんな時間にどうしたの」
「吉永さん、お願い」
どんなのでもいい。売れ残った花を全部ゆずってちょうだい。
私は抱えられるだけの花束を、家に持ち帰った。
壁の穴をくぐり、彩音のアトリエに入って、しばらく荒い呼吸をしてから、腕の中の花を全部、空中に放り投げた。
さまざまな色と香りで創造された混沌。私はその中に座りこんで、泣いた。
「CLOSE TO YOU 第4章」
お題使用。「瓢箪堂のお題倉庫」http://maruta.be/keren/3164