それを何と呼ぶのか知らない。その名を尋ねるべき相手もいない。ただわかっているのは、それが人から愛でられていることと、私の最も古い記憶において、既に百本を越えていたということのみだ。
人は枝と呼んでいるようだが、意思で動かせるものを枝とは言わない。だからといって何かを触る為に動かすわけではないのだから、触手でもない。腕が一番近いと思うが、言葉の誤用のような気もする。
手っ取り早いのは自分で命名することだ。どんな名前をつけてもクレームが出るはずはないが、その前にまず私自身の名前を決めるべきだろう。それすらしていないのは、意思疎通の出来る同胞のいない状態で、名前に意味があるかが疑問だからだ。
せめて私を認識する者がいるなら話も変わろう。だが、唯一の希望たる人間ですら見込みは薄い。ニューラルネットワーク以外の非線形フィードバックシステムである知能回路をいまだ知らぬ連中に、私が思念を持ち得るという仮説を望んではいけない。
人が私に気づくのはいつのことだろう?
人が私の体の全てに名前をつけてくれるのは、いつのことだろう?
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第88回タイトル競作参加作品です。会場はこちら(名前はまだない10)