昼休みに、若林さんから来たメールを開けてみて驚いた。彩音を残して一足先に帰国したという。
「どういうことなんですか」
なじるような調子になっている自分が止められない。
『版画の技法を学ぶために、もう少し滞在を延ばしたいのだそうです』
「版画?」
『今は、版下にする原画にかかりっきりらしくて、現地の工房に入りびたっています』
いったん創作に入った彩音は、何を聞かれても、ろくに返事もしなくなる。若林さんは次の仕事を控えて、さぞ弱ったことだろう。
「ありがとうございました。後はこちらで、なんとかしますから」
とってつけたようなお礼を言って電話を切り、茫然とする。
つい数日前まで、あれほど日本に帰りたがっていたのに、いったい何が起きたのだろう。
彩音の携帯にかけてみるが、すぐに録音に切り替わる。何度やっても同じ。
ニューヨークは今、夜の十時過ぎだよ。まだ絵を描いているの。どこで寝るの。ごはんは、ちゃんと食べてるの。
帰れないことを、どうして一番最初に私に連絡しようとは思わなかったの。
涙があふれて、携帯の待ち受け画面にした彩音の絵が、ゆらりゆららと細波を立てる。
彼にとって、絵を描くことが何よりも大事で、私は二の次だ。最初からわかってはいるけれど。
わかっては、いるのだけど。
彩音。今だけは、私のそばにいてほしかった。
「CLOSE TO YOU 第4章」
お題使用。「瓢箪堂のお題倉庫」http://maruta.be/keren/3164