急遽、三人の予定が二人で行くことになってしまい、しょっぱなからつまづいた旅行。
妹も高熱を押してホテルに電話をかけてくれ、私たちも手分けしてフェリーやサイクリングなどの人数変更依頼のメールを打ちまくり、1時間後には車に乗り込むことができました。
旅行の予定は、以下のように変わりました。
1日目:
自宅(兵庫県)出発:中国縦貫自動車道と山陽自動車道を使って、広島県・鞆の浦へ。尾道で宿泊2日目:
尾道のレンタサイクルでしまなみ海道サイクリング。向島・因島・生口島を渡って、生口島で尾道行きのフェリーに乗り、尾道でレンタサイクルを返却。車でしまなみ海道を渡り、愛媛県・奥道後温泉で宿泊。3日目:
奥道後温泉出発。道後温泉を観光し、高知県・中津渓谷を経て、仁淀川クリスタルカヤック体験。にこ渕に寄るなどして、オレンジフェリー東予港夜10時の便に乗り、翌朝、大阪南港着。
大きく変わったのは、二日目の予定(青字の部分)です。車で伴走するはずだった夫が、妹の代わりにサイクリングに参加。生口島の瀬戸田港から出るフェリーで尾道まで戻ることにしたのです。
雨の高速道路……でも、広島に入ったら薄日が!
中国自動車道から山陽自動車道(E2A→E2)と、渋滞を避けて順調に滑り出しましたが、スケジュールの遅れは否めません。
それに加えて、雨も激しく振り出しました。
予定では鞆の浦に立ち寄るはず、でも、この雨では……とあきらめかけていたのですが、広島に入ったころから雨が小止みになって来たではありませんか!
これは、行けということだと勝手に決めて、福山東ICで降り、鞆の浦に向かいました。
坂本龍馬にゆかりの鞆の浦
1867年(慶応三年)5月、「いろは丸沈没事件」が起きました。坂本龍馬ら海援隊が乗り組み、長崎から大坂まで土佐藩の武器弾薬を運んでいたといういろは丸が、紀州藩の船と鞆の浦沖で衝突し、沈没したのです。
龍馬は、鞆の浦で紀州藩と談判し(最終決着は長崎)、当時の国際法であった「万国公法」を持ち出して巧みに交渉し、巨額の賠償金を紀州藩に払わせたということです。日本初の海難審判ということで有名になりましたが、本当はいろは丸のほうに落ち度があったとか、巨額の武器弾薬など積んでいなかったとか、後日談には事欠きません。龍馬はこの年、本当に忙しかったですね。「らんまん」では、万太郎に会いに土佐までいかなきゃならないし(笑)。
「平成いろは丸」で仙酔島へ
龍馬の乗った「いろは丸」は沈没してしまいましたが、その船を模した「平成いろは丸」が20分おきに出航しているので乗せてもらいました。
わずか数分で、船は仙酔島へ。「仙人が酔うほど美しい島」という意味だそうで、夏は海水浴場としてにぎわいます。まだ3月なので、立ち入り禁止の柵が設けられているなど、静かな風情でした。
夕暮れの尾道
鞆の浦でゆっくりして、ふたたび車に乗り込み、狭い鞆の浦の道路を抜けて、一般道を40分ほどかけて尾道に向かいました。
今夜の尾道のお宿は「urashima INN
-GANGI-」。素泊まりで、バスルームはトイレ・シャワーのみ。若者に人気のリーズナブルなホテルです。尾道駅にも商店街にも、散策にもちょうどよい立地条件で選びました。予約のときは、GANGIって何なのかと思っていましたが、鞆の浦で実物を見てきましたから納得。窓のすぐ下は海という、すごいオーシャンビューなのですね。
一階はバーカウンターになっていて、紅茶コーヒー飲み放題(コーヒーメーカーはデロンギ)というのもありがたかったです。
ところが、尾道に着いたとたん、今まで止んでいてくれた雨が土砂降りに。チェックインをして部屋で荷物を片付けながら待機。雨もなんとかやみ、千光寺ロープウェーの最終便17:15にようやく間に合いましたが、白いもやがかかって高台からの景色は楽しめず。
それでも、細い坂を降りながら、尾道の町を眺めつつ旅情にひたります。
市街地に降りたのは、もう6時過ぎ。尾道商店街は残念ながら、もうほとんどが閉まっていて、開いているお店は人でいっぱい。広島割のクーポンを使える店を捜しまわり、ようやく「東方記」さんで尾道ラーメンと餃子にありつけました。
尾道ラーメンは初めていただきましたが、スープがコクのあるわりにあっさりしていて、全部飲み干せるほど。春の夕暮れで冷えていた体にしみわたりました。
広島割のクーポンでもたもたしていたら店主さんが親切に教えてくれました。クーポンで夕食が全額支払えるお得感はすごいです。
長い激動の一日でした。明日のサイクリングに備えて、早く寝ることにします。
つづく