私の近くから、「この頃ブログの話題がむずかしくてわからない」というおことばをもらったので、今日はバレンタインの話でも。
アメリカの小学校では、バレンタインの日にクラスの子どもたち同士でカードを贈り合う習慣がありました。そのために、ミシン線で切り取って使うミニカードがたくさん売られていました。クラス全員の分を書いて、それぞれが持参したボックスに入れていくのです。固いハート型のラムネ菓子がいっしょについていることもありました。
恋人たちの日というより、みんなで仲良くしましょうという雰囲気の日であったような気がします。
さて、与太話をもうひとつ。
私が初めてバレンタインなるチョコレート購買運動のことを知ったのは、小学校六年のときです。
友だちとふたりで、後に東大に入った同じクラスの秀才くんにチョコレートをあげた覚えがあります。まあ、好きとかどうとか言うより、誰でもいいからあげたかったんでしょうな。
1970年昭和45年といえば、高度成長期のピーク。中高生・小学生が大人の流行を真似て、ブームに底上げするという風潮の下地が出来てきた時代でした。
好きな子に本気でチョコを渡したのは、中学2年のときであります。やはり同じクラスの子で、秋野太作似のファニーフェイスの男の子でした(BUTAPENNは実はあまり面食いではないようです)。
直接渡せなくて、親友を通してサッカー部の男子からその子に渡してもらったという、とっても遠回りなルートでした。
そこで一句。
『数人の 手垢がついた チョコレート』
で、結局その子は他に好きな子がいたことが判明し、4月にはクラス替え、顔を合わすこともあまりなくなってしまいました。
それから23歳で見合い話が出るまで、アニメの主人公に恋したり、自分の書いた小説の主人公に恋したりするだけのヲタク街道まっしぐら。トキメキとは無縁の青春を送りました。
いやあ、これで恋愛小説サイトマスターだなどと、どのツラ下げて言っておるのやら。
そのかわり遅ればせながらも、ダンナさま相手にさんざん泣いたり笑ったり、ひととおりの恋愛ジェットコースターは味わわせていただきましたけど。
私が子どもの頃の日本には、好きな男性に好きと言えないシャイな女の子が、まだごろごろしておりました。バレンタインデーは彼女たちにとって一年に一度の、運命を懸けた神聖なお祭りだったわけです。
それが、今はどうじゃ。三倍返しだと? チョコレートは高価なお返しを釣る、ただの餌と化しておるようですな。
女性が自立し精神的にも強くなった今は、女性から男性へのプレゼントの日、という位置づけはいい加減に止めて、お互いに好きなものを贈り合ったり、日ごろ地道に社会のためにつくしている人々をねぎらう日にしたらいいと思います。
それこそが、聖者バレンタインの精神にふさわしい。