先日更新した「セフィロトの樹の下で2」第4章(1)の中で、柏所長がこんな言葉を引用していました。
『自分に変えられることは変えてみせろ、変えられないことは受け入れろ』
これは実は、私の教会では、少人数の集まりなどのときに、「開会の祈り」としてときどき用いている祈りのことばです。
ラインハルト・ニーバー(Reinhold Niebuhr, 1892年-1971年)という、ドイツ系アメリカ人のプロテスタント系神学者、牧師、また政治学者の書いたことばです。
いろいろな訳がありますが、ここでは私の教会で用いている訳をご紹介します。
かなり翻訳調です。
神さま、私にお与えください。
自分に変えられないものを、受け入れる平静な心を。
変えられるものは変えていく勇気を。
そして、二つのものを見分ける賢さを。
一日単位で生き、一瞬一瞬を楽しみ、
この罪に満ちた世界を、自分がそこに染まるのではなく、
あるがままに受け入れ、
私がみこころに明け渡すならば、
あなたがすべてを変えてくださると信頼し、
それによってこの世においては適度な幸せに、
次の世においては、
あなたのみそばで最高の幸せにおらせてください。
特に前半部分は、名言としてビジネス関係の書物などで引用されることが多いようです。
このことばが、つい最近亡くなられたアメリカの小説家カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」という小説に、主人公の生活信条として引用されていることを、海野希倫さんのブログ「Days…」の記事で初めて知りました。 → 「カート・ヴォネガットのこと」
原文も載せてくださっているし、たぶんこっちの訳のほうが良いので(笑)、興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。
BUTAPENNさん、こんにちは。
リンクを張っていただいたので、今日は希倫です(笑)。拙ブログに載せておりますビリー・ピルグリムの生活信条は、原文、訳文ともに「スローターハウス5」に載っていたそのまま、のはずです。訳は伊藤典夫だったと思います。
出典をきちんと書くべきでしたが、本が既に手元になく、昔わたしが書き抜いたノートからの引用でしたので、不備が生じました。ご理解くださいませ。
希倫さん
勝手にリンクしてしまい、失礼しました。かえって気をつかわせてしまって。
訳の出典については、私が書いた訳のほうの出典もまったくわかっておりません。
もともと教会で使われているもの、古い文章や、口伝で歌い継がれてきた歌などは、作者不詳のものが多いんです。特に翻訳者となるとまったく伝わっていないことが多いですね。