義母は、70歳代前半まで、とても活発な人でした。
地域の役員や委員など、とにかく私がお嫁に来たときから家にいない人で、午前と午後ふたつの会議をかけもちするなど、そばで見ていても、その精力的な毎日には感心するほどだったのです。
私たち一家がアメリカに駐在生活を送っていたときは、ラジオで英会話を勉強してから訪ねてきて、隣のアメリカ人の男の子の言っていることがわかるほどでした。
そういう進取の気性を持つ人ですから、わが家は嫁姑の確執もなく、うまく同居できたのかもしれません。
ところが、今から5年前、足の手術を受けて一ヶ月半ほど入院したときから生活が一変しました。
年齢のこともあって、引き受けていた役もほとんど辞め、入院に臨んだのですが、手術の前夜、看護師さんから電話があり、「とても取り乱しておられるので、家族の方に来てほしい」というのです。
あれほどしっかりした義母が、錯乱するなど信じられませんでした。
急いで駆けつけたところ、うそのように平常にしており、もしかして何かの間違いではないかと思ったものです。
今から考えれば、それが認知症発症の引き金であったのかもしれません。
私は素人ですので、間違ったことを考えているかもしれませんが、どうも、認知症をわずらうとき、何かとても大きな生活の変化や、ショッキングなできごとが、まず最初に起きているように思います。
以前からよく言われる、「定年退職のあと、ボケた」というのも、生活の劇的な変化が引き金になることを言い表しています。
毎日の仕事の手順を変えただけでミスしてしまったり、誰かに手伝ってもらうと余計に能率が上がらないということは、私たちの日常でもよくありますが、無意識のうちに身体が覚えている行動の流れを完全に堰き止められたとき、人の脳は混乱してしまいます。
それを修正する神経回路を新しく構築できる若い人はよいのですが、年を取ると、それがうまく行かないことが起こる。
義母の認知症は、そうして始まったようにも思うのです。
手術は無事終わり、一ヵ月半の入院を経て、義母が退院してきました。
ただし、今までのようには歩けないため、しばらくは家事もすべて私が引き受けていました。
今まで参加していた地域の行事も旅行も、足が悪いために参加できません。
義母が一日じゅう家の中にいるなどとは、見たことのない光景です。
ところが、だんだんと少しずつ「変だな」と思うことが起き始めたのです。
ここでいったんペンを置きます。