はた目から見れば、義母が認知症であることは、なかなかわかりません。たぶん初対面では、まったくわからないのではないでしょうか。
アルツハイマーに特徴的な「人格の変化」というのは、義母の場合はまったくないようです。
俗に「まだらボケ」と言われるように、正常な部分と病的な部分が混在しているのです。
たとえば、義母は暗算は得意です。お金を払うときも、多少もたつきますが問題ありません。
住所や電話番号をそらんじたり、書類に書いたりすることもできます。近所を散歩して、迷子になったこともありません。
総じて、夜よりも朝のほうが調子がよく、朝起きるとコーヒーを淹れたり、洗濯機を動かしたり、掃除機で掃除をしたり、それはそれはマメに動いています。
こうしてみれば、まったく日常生活に問題がないと思われても不思議はないでしょう(事実、介護認定では、まったく等級がつきません)。
ところが病的な部分は、家族にしか見えない形で存在します。
日にちの感覚が、あいまいなのです。
今日が何日か、何曜日か、平成何年か。ここまでは、誰でもついド忘れすることも起こりえますが、今が何月か、冬は冬でも、暖かさに向かう時期なのか寒さに向かう時期なのかがわからなくなります。
2月に、冬物を夏物と入れ替えようとしたこともあります。
お友だちと待ち合わせの約束をしても、すっぽかしそうになる。自分では、手帳にきちんと約束した日を書き込んでいるのです。でも、それは去年の手帳でした。
ですから、何か電話で約束ごとをしているときは、家族は必死で耳をすまさなければなりません。
もの忘れがひどくなったことは本人も自覚していて、毎日膨大な量のメモを書いていますが、どこに何を書いたのかわからないようです。
そして、もっと厄介なことには、書き留めたことの中に事実ではないことも混じってくるようになったのです。
近所のクリーニング屋さんに洗濯物を持っていったのに返ってこないというので、その店に尋ねに行ったのですが、洗濯物は預かっていないと言われてしまいました。
「あそこは預かっていないと言ってるよ」と話をしたのですが、何月何日に持っていったとちゃんとノートに書いてあるから、絶対に持っていったと主張します。クリーニング屋さんが直接家に来られ、台帳まで見せられたため、納得するしかありません。けれど、また翌日になると、そこに預けたと言い始める。
こういうやりとりが、ほとんど毎日続くと、家族もどうすればよいかわからなくなってしまいます。