認知症患者への介護で、最も大切なのは、介護者が孤独にならないことです。
身体に障害のある方に対する場合は、こちらも身体を使う介護が主になります。しかし、精神機能に障害がある人への介護は、介護者の精神状態に大きく左右されると思うのです。
不思議なことに、認知症の人と接していると、こちらの精神が揺り動かされるのを感じます。なんでもない場面で、むらむらと怒り、不安、恐怖が湧いてきます。
何度も同じ会話を繰り返すことへの苛立ちと疲労。認知症を患う前と患っている今とのギャップを受け入れられない葛藤。相手を怒ったり、蔑むような行動を取ってしまうことへの罪悪感。合理的な世界が壊れ、不条理にからめとられてしまいそうな恐怖。
だからこそ、介護者はなるべく、患者と一対一にならないようにするべきです。
私が子どもを育てていたときは、夫が働き盛りで話し相手になってくれず、毎日ふたりの幼児とだけ顔を突き合わせていた時期でした。そんなとき、たまに他の大人と話すと、ほっと感じることがありました。
子どもから離れて自分の思考回路を取り戻し、自分が解放される数少ない時間でした。
それと似たところがあるかもしれません。患者以外の人に接する時間を多く持たないと、介護者は精神的に、とても追い詰められた状態になってしまう危険性があるように思います。
もうひとつ、必要なのはユーモアだと思いました。ものごとを客観的に見て、笑うゆとりです。
義母がまだ認知症を発症し始めの頃、毎日、財布がなくなった、カバンがなくなったと大騒ぎして、へとへとになっていたとき、会社に行っている夫とときどき、メールや携帯電話をやりとりしました。
「今日の事件は?」
「引き出しから、なくなっていた三万円が見つかったよ。それと、押入れから化粧水をふたつも発見」
「おお、それはすごい」
「毎日、宝探しの気分だよ」
こうやって、笑いをまじえながらやりとりしていると、気分がすっと楽になります。状況をゆとりをもって見ることができるようになります。
「これは、ブログのネタになるぞ」なんていうプラス思考も、効果があるかも(笑)。
介護者は、孤立してはいけない。どこかで自分を取り戻す場を作らなければなりません。
介護保険を使って、デイケアやショートステイを利用することも可能です。介護者は、わずか数時間といえど、ゆっくり羽を伸ばすことができます。
しかし、その反面、家を離れて介護者の目の届かない場所へ行くと、患者の状態が一時的に悪くなることもあるのです。「結局は、家にいるほうが楽だ」ということになってしまい、「やっぱり自分でなきゃダメだ」という間違った責任感から、ひとりで患者を抱え込んでしまい、そういうチャンスを利用しなくなってしまう場合も出てきます。
老老介護の悲劇といわれる孤立したケースの中には、そういう結果起こったものもあるのではないでしょうか。
患者と介護者が夫婦である場合は特に、引き離さずに一緒にケアする場所を作り、回りから包み込んで支援するような体制作りが必要ではないかと考えます。
二人で過ごすしか仕方の無い場合もあります。そして、自分を省みて
反省し悲しくなります。あなたが言われるように、デイケアーに行くか
仕事にどちらかが行けるといいのですが・・・・
昨日久しぶりに郊外にドライブに行くチャンスに恵まれ新緑を堪能し、おいしいお弁当(薬膳料理)を食べて二人で「疲れたけど楽しかったね」と話しています。お金とひまと助っ人がいりますけどね。
とも角反省と悔い改めの毎日です。何時になったら勝利できるのかしら。
今日リハビリの付き添いのとき、隣に座っていた人と話をしました。
その方のお姑さんは、もう十年以上もアルツハイマーを患っていて、お嫁さんが介護しておられるのだそうです。ちょっと見ただけでは、穏やかなおばあちゃんなのですが、徘徊を試みて転倒、骨折。入院中も夜中に叫びだすので、息子さんが泊り込んで、病院から出勤する毎日だとか。
それでも、たった介護度3、週三回だけのデイケアだそうです。
ああ。私の苦労なんて、苦労じゃないと思いました。「神は私たちを耐えられない試練に会わせることはない」と書いてありますが、こんなちっぽけな試練で、もう弱音を吐いているんです。