先日わたしの行っている教会で、セミナーが開かれた。 今プロテスタント教会の中でブームになっている「ヤベツの祈り」(プリズム社)という本を 書かれた平野耕一牧師を講師としてお迎えした。 聖書の「歴代誌」に出てくる「ヤベツ」という人の祈りがテーマになった本である。 ヤベツの祈りとは、こういう祈りだ。 「私を大いに祝福してください。 私の地境を広げてください。 あなたの御手が私とともにありますように。 わざわいを遠ざけて、私が苦しむことがありませんように。」 (第一歴代誌4章9~10節) 私がこの中で一番感銘を受けたのは、「私の地境を広げてください」という箇所だ。 今世界の国境は、どんどんと無くなりつつある。 テレビなどのマスメディアは言うにおよばず、インターネットの普及によって、双方向のコミュ ニケーションが可能になった。 私のような普通の主婦の書いたものが、ホームページをとおして少数ながらも全国の人に 読まれる。 言葉の問題さえ乗り越えれば、アメリカだろうがアジアだろうが、好きな地域の情報が即座 に手に入り、また送り出すこともできる。 こんな状況は私の子どものころには想像もできなかった。 まさに国境のない時代になったのだ。 しかし、ふりかえってみると、果たして個人の心から国境は取り払われただろうか。 人とのあいだを隔てる壁は、ますます厚く築き上げられてはいないだろうか。 そして、個々の人間の「可能性」という地境はますますせばまっていないだろうか。 「仕事をしているから、PTAをする時間の余裕なんてない」 「理系じゃないから、機械のことはわからなくて当たり前」 「この年になって、今さら新しいことに挑戦だなんて」 最近身の回りで聞いたことば。 自分で自分の心に言い訳しながら、新しい地平線を拒んでいる。 もう10年ほど前、アメリカ人の宣教師が20人ほどの小さな集まりで、聖書の話をなさる 機会があった。 その席で通訳をしてくれないかと、牧師に頼まれた。 私は断った。そのときの返答は、 「私には無理です。信仰が弱い私にそんな力はありません」 それを聞いたときの、牧師の悲しそうな顔を忘れない。 そのとき決心した。「できない」とはもう言わないと。 これからは、「神さまの助けがあれば、できます」と言おうと。 だが、むずかしい。 気がつけばいつも、「無理だよ、できないよ」と言い訳している自分がいる。 神が、私たちの心の地境を広げてくださいますように。 |