人は誰でもナンバーワンになりたがる生き物だ。 絶えず、他人と自分を比較し、高ぶり、卑下し、自分を位置づけようとしている。 そこには、嵐の日に大波にもてあそばれる小舟のような、浮き沈みのはげしい、不安定な自己評価しか生まれない。 しかし人間にとって、もっとも幸せなことは、ナンバーワンになることではない。 オンリーワンになることだ。 家族にとって、友人や恋人にとって、そして今は見知らぬ誰かの、かけがえのない者となること。 いや、気づいていないかもしれないが、もう私たちはすでに、オンリーワンの存在なのだ。 教会での礼拝でこの話を聞いたその日の午後、教会員のご家族の小さなお嬢さんの記念会が持たれた。記念会とは、仏教でいう「法事」にあたる。ただキリスト教のそれは、死者を供養するものではなく、ご家族を慰めるためのものである。 今年の桜のころ、5年9ヶ月の生涯を閉じて、天に召されたこの女の子は、仮死状態で生まれ、障害を持った。 一生のあいだ、話すことも歩くことも食べることもできず、24時間の介護が必要だった。 しかし、その短い一生の中で、彼女は家族や周りの人々、病院の医師や看護士の方々に多くの喜びを与えた。 たくさんの人が、涙を流しながら彼女の思い出を語った。 正直、本当に多くの困難と葛藤があったと思う。 でも彼女が何かをいやがって泣くと、回りの人はその心の成長を喜び、彼女が笑うと、その笑顔は人々を慰め、勇気づけた。 人の一生は、何をなしえたかで決まるのではない。 その人が、そこにいること。それが何よりも偉大な奇跡なのだ。 笑うことと泣くことしかできなかった彼女は、たったひとりのかけがえのないオンリーワンだった。 天の御国で、チューブをはずされ、思いきり走り回る彼女を、私たちはいつか見る。 それまで私たちは、彼女と同じように自分らしく生きる、自由と責任を負っている。 あなたを形造った方、主はこう仰せられる。―― 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 (イザヤ書43章4節) |