自分の結婚までのことを短編に書きながら、地下鉄の駅で偶然彼とばったり会ったことを思い出した。 2年間同じ線で通いながら、彼と会ったのはそのとき一度きりだった。それがなんと、彼との見合いの話が持ち上がるわずか数日前。 同じく、小さな頃から聞かされた、私の両親のノロケ話。 付き合いはじめたばかりのふたりが、離れたところに遊びに行った先でばったり会った。運命の赤い糸を感じたそうだ。 たとえそのとき、父が違う女性と、母が違う男性といっしょに歩いていたにせよ。 恋には、こんな奇跡がごまんと起こる。 よくある偶然と言えば、そうかもしれない。だが、偶然とすればあまりに出来すぎているこんな出来事に出会うとき、私たちは、たとえ一瞬でも、人知を超える何者かの計画を信じたくなる。 しかしまた逆に、奇跡を信じる力により、自分の今の生き方が変わるとも言えるのではないか。 たとえば、自分の命は誰かの強い愛と計画によって生まれた(たとえその誰かが父母であっても創造神であっても)と信じること。 たとえば、結婚は神が合わせたものという誓いのことばを信じること。 たとえば、愛する家族と天国で再会できると信じること。 そこから、大きな人生の意味が生まれるのではないだろうか。 たとえ、どんな大きな苦難がおそってきても、打ち勝つ力が与えられるのではないだろうか。 とうとう9月11日がやってきた。 この忌まわしい惨劇の記念日を前にして、日米同時に発行された本がある。 「レッツロール」(日本語版:フォレストブックス)という題名で、著者は、リサ・ビーマーという人だ。 彼女の夫のトッド・ビーマーは、あの9月11日にテロリストによって乗っ取られ、ホワイトハウスに向かう途上でペンシルバニアに墜落したユナイテッド93便の乗客であった。 トッドをはじめとする93便の乗客たちが、テロを阻止するため、コックピットの爆弾を巻きつけたテロリストたちに勇敢に立ち向かったのは有名な話だ。 「レッツロール(さあ、やろう)」とは、携帯を通して交信していた電話交換手が聞いたトッドの最後のことばだと言う。その直後、彼は仲間の乗客たちとともにテロリストのもとにおもむいた。 妻であるリサ・ビーマーは、夫のことば「レッツロール」がTシャツのロゴになり、政治に利用されることに戸惑いながらも、同様に家族をうしなった多くの人を慰める働きと、 親を失った子どもたちのための基金のために奔走している。 リサは、こう著書に書いている。 |
「トッドが「レッツロール!」と口にしたあの時でさえも、93便のすべての乗客の本当の願いは、何とかして家に、そして愛する家族のもとに帰りたいという ことだったと思うのです。誰一人、死にたくなどなかったのです。トッドも、自分から進んで死を選んだわけではなかったはずです。 (中略)
トッドが、単なる宗教熱心な人たちと違うのは、彼が信仰によっていのちをささげようとしていたのではなかったことです。 それこそ、あのテロリストたちのしたことではありませんか! トッドは信仰によって生きようとしていたのです、最後まで信仰によって生きることを貫こうとしたのです。」
たくさんの人が、ほんのちょっとした時間差でハイジャックされた飛行機の乗らずに済んだり、その日世界貿易センターに行く予定が 変更になって命拾いした、奇跡的な話を耳にして、彼女は心を乱す。
「神には9月11日に起こった残虐な出来事の数々を防ぐことができたはずです。しかし何かの理由でそうはされませんでした。これが神がお許しになった初めての悲劇ではありませんし、おそらく最後になるということもないでしょう。私たちはそんな辛い現実をかかえながら生きています。」
しかし、彼女はその理不尽で不公平な現実の中に、なお前向きに生きる道を選んだ。
「神は私のために計画を立ててくださいます。それは、わざわいではなく、平安を与えるための計画であり、私に将来と希望を 与えるためのものなのです。毎朝ベッドから起き上がるとき、私はこのことに勇気と力を与えられます。この神の約束は今までの私の過去の歩みでも真実でしたし、9月11日においても真実でした。そしてこれからの将来の 歩みの中でも変わることなく真実なのです。私にとっても、そして子どもたちにとっても」
私たちの人生で起こるすべてのことには、意味がある。たとえどんな残酷な事実であったとしても。
そう信じて、希望を失わないときにこそ、奇跡は起こる。