鹿の子さんがつい最近アップされた短編の中に、「ごめんねプリン」という作品があった。 心が洗われるとてもすばらしいお話なので、ぜひ上のリンクから読みに行っていただきたい。けんかをして仲直りをする母と娘のお話である。 私はそれを読んで、「ごめんねプリン」が、我が家では「ごめんねぶたぺん」だったことを思い出した。 「ぶたぺん」という私のハンドルネームは、プロフィールのページをご覧になればわかるように、高さ10センチほどの青いペンギンのぬいぐるみに由来している。 なんとヤツはニューヨーク出身。私たち一家がNY旅行中に、The Penguin Shopという店で買ったものなのだ。 そのぬいぐるみはそのときから、当時6歳と4歳の息子たちの最大の友だちとなった。それ以来どこに行くにも、ぶたぺんは私たちといっしょについてきた。子どもの幼稚園にもお出かけにも寝るときも。 ハワイにもフロリダにも、ワイオミングへの家族旅行にもいっしょだった。SPECIALの「特別企画」のページに掲載している「3000マイルアメリカ西部縦断旅行記」にも、移動中の車内でぶたぺんを主人公にしたお話ごっこをしていたことを書いた。ヤツが世界一の旅行好きのペンギンであることは間違いない。 ほかのエッセイにも書いたとおり、私は子どもをよくヒステリックに怒鳴る母親だった。日本で主人の両親と暮らしていたときは、私の機嫌が悪いとき、子どもたちはすぐおじいちゃんやおばあちゃんのところに逃げこんだ。そうして大家族の中で、お互いのバランスをとっていた。 ところがアメリカに駐在中、私に叱られたあと、彼らには逃げ場がなかった。かわいそうなことをしたと思っても、一旦ふりあげた拳をおさめる先がない。言葉が通じず頼る者がいない不安な状態なのは、私だけではなく子どもたちも同じだったのに。 そんなある日、私がふたりのうちどちらかを酷く叱ったあと、しばらくしてふと見ると、テーブルの端から、ぶたぺんのぬいぐるみがちょこんと顔を出した。 叱られた子どもが自分の姿はテーブルの下に隠したまま、一番大好きなぬいぐるみを和解の使者として寄こしたのだ。 私は胸が熱くなった。 ぬいぐるみに話しかける形で、自然と子どもと仲直りをすることができた。 ときどき、私たちには和解の使者が必要だ。 むき出しのとげだらけの心は、けんかした相手のすべてを受け入れられなくなってしまう。そのときに一方から差し出された「あなたと仲良くしたい。あなたと元通りに微笑み合いたい」というシグナルを、見逃すことなく素直に受け取りたいと思う。 その仲直りの象徴が私と息子にとっては、ぶたぺんだったのだ。 人間の史上最大のけんかは、神を相手に行われたものだった。神の命令にそむくことで始まったそれは、人類の歴史このかたずっと続いている。そのけんかの和解の手段として、神は最愛のひとり子を釘づけた十字架を差し出した。 十字架の縦の木は神と人間との和解を、横の木は人間同士の和解を表わしていると言われる。 十字架は本来、宗教戦争の旗印などではなく、神から人間への、そして人類全体の和解のしるしなのである。 あれから15年近く経った今も、ぶたぺんは私のパソコンの上に鎮座ましましている。 そして、その彼の名前を自分のハンドルネームとしたことを、私は今さらながら良かったなと思っているのだ。 |
