このサイトに載っている自作小説は、北アイルランドの紛争が背景になっている。 ↑思いっきりネタバレ。 多くの人は、この紛争がカトリックとプロテスタントの宗教紛争のように受け取っておられるかもしれない。 それは誤解であることを言っておきたい。 確かに歴史の中では、カトリック教徒とプロテスタント教徒がお互い反目し合っていた時期もあるのだろう。 が、今はそういう宗教的対立はなくなっていると思う。 かえって、ふたつに分かれた流れをひとつに戻そうという「エキュメニカル運動」が盛んになっている時代なのだ。 ところで、私はプロテスタントである。 カトリック教会にも一度も足を踏み入れたことがないので、ふたつを比較することは難しい。 私の信じているのは、どの宗派に属しているとか、どの教会に行っているとかは関係なく、その個人の心が問題だということだ。 厳密に言えば、百人いれば、百通りの信仰があることになる。そういう個人主義がプロテスタントの特徴だ。 カトリックは、教会という1つのファミリーに属していることを重んじる。だから、全世界ひとつの組織である。「カトリック」ということばの意味は、「普遍性」だと聞いたことがある。 どちらがいいとか、悪いとか言うことはできない。 キリスト教徒にとって大切なことは、イエスキリストが十字架の上で示した愛が、その人の心に刻まれているか否か、だけなのだと思う。 その他にも、比較すると―。 ① プロテスタントの教会では洗礼名をつけることはあまりない。 ② 映画でよく見る懺悔とか告解は、プロテスタントでは見たことがない。 ③ カトリックは旧約聖書、プロテスタントは新約聖書というのは誤解。どちらも両方とも読む。 ④ カトリックのマリア信仰・諸聖人信仰は、プロテスタントにはない。 ⑤ 天国に行く前に煉獄に行くという考え方は、カトリック特有のもの。 厳密に言えば、いくつかの点で相容れない部分はある。しかし、乗り越えられない障壁ではないと信じる。 多くの日本人が思っているように、宗教が、紛争や諸悪の根源なのではない。 お互いに尊重し合うこと。敵対する者と分かり合おうとすること。 それは、永遠の存在を信じ、その愛を受けることでしか得られない心なのだと、思うからだ。 カトリックの方から、煉獄についてカトリック教会ではあまり強調していないとのご教示をいただきました。訂正するとともに、教えてくださった方に感謝します。 これをきっかけにカトリックの方々と交流が深まればと願っています。 |