「おすすめ」第一弾は、クリスマスも近いという理由で、「聖書」にしました。
みなさんは聖書を持っていらっしゃいますか?
「学校でもらった」「ホテルの引き出しに入っているのを見た」という方もおられるでしょう。「ギデオン聖書協会」という団体が無料で聖書を配布しているのです。会員の浄財や教会からの献金をもとに、ミッションスクールや看護学校、ホテルなどに寄贈しています。キリスト教会に置いてある場合もありますので、欲しい方はお近くで問い合わせてみてください。
でも、もっと本格的に聖書を読みたいという方は、やはり自分で購入することをおすすめします。ふところが痛むほうが、読み始めても途中でギブアップする可能性が減るし(笑)、もしあなたが小説や戯曲を書かれる方でしたら、聖書を引用したり参考にする場面は、いつか必ず出てくるでしょう。
日本には大きく分けて、文語訳、口語訳、新改訳、新共同訳の4種類の聖書があります。このほかにもカトリック訳や、「私訳」と呼ばれる個人訳の聖書があります。すべて原典(旧約はヘブル語、新約はギリシャ語)から直接、忠実に訳されたものです。逆に言えば、原典から直接訳されていない聖書は、「聖典」と呼ばれる価値はありません。
この中で一番新しいのは、新共同訳聖書 旧新約です。
カトリックとプロテスタントの背景を持つ聖書学者70人からなるチームが18年の歳月をかけて、まさに名の通り「共同」で翻訳した聖書です。三位一体の「御霊」を”霊”と訳すなど、従来の訳に慣れた者からすると、「どうしてこんな訳しちゃったの?」というような部分もあるのですが、宗派を超えて今一番多くの教会やミッションスクールで用いられている「定番」の聖書といえば、これでしょう。
「聖書はどうもわかりづらくて」という方には、平易な日常の文にパラフレーズ(意訳)されたリビングバイブル 旧新約がおすすめです。
一例をあげれば、マタイによる福音書第6章31?34節は、新共同訳ではこうなっています。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
これがリビングバイブルではこうなっています。
ですから、食べ物や着物のことは、何も心配しなくていいのです。
ほんとうの神様を信じない人たちのまねをしてはいけません。彼らは、このような物がたくさんあることを鼻にかけ、そうした物に心を奪われています。しかし、天の父は、それらがあなたがたに必要なことは、よくご存じです。
神様を第一とし、神様が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものはすべて、神様が与えてくださいます。
明日のことを心配するのはやめなさい。神様は明日のことも心にかけてくださるのだから。一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。
かなり会話文に近い、わかりやすい文章になっています。「これなら聖書を読める」という人が多いのも納得できます。ただし個人的には、イエスが「やれやれ、どうなるのかね」と言ったりするのは、ちょっと威厳がなさすぎだと思うのですが……。
それから、もうひとつ、この「リビングバイブル」は原典からではなく、英語の「The Living Bible」を日本語に訳したものです。そういう意味で、これは聖典として教会で朗読することはできません。あくまで参考書としての利用にとどめておくべきものです。
私の子どもの頃あたりまでは、文語訳聖書が使われていました。「元始に神天と地を創りたまへり」(創世記1章1節)という文章が綿々と並んでいて、ほとんど古文の世界。読んでもさっぱり意味がわかりませんでした。
たとえば有名な詩篇19編の冒頭は、こういう訳です。
もろもろの天は神のえいくわう(栄光)をあらはし、穹蒼(おほぞら)はその手のわざをしめす この日ことばをかの日につたへ このよ知識をかの夜におくる 語らずいはずその声きこえざるに
そのひびきは全地にあまねく そのことばは地のはてにまでおよぶ
昔は、文語訳の聖書をすらすらと暗唱しながらお祈りするおばあちゃんが、教会にはたくさんいました。 そう、ことばは難しいけれど、この訳は韻がよく、崇高で暗唱に向いているのです。 今でもたとえば、「復讐するは我にあり」「人の生くるはパンのみによるにあらず」など、巷で聞かれる聖書の引用は、この文語訳が多いのです。 「門前の小僧習わぬ経を読む」と言いますが、私も教会へ通っているうちに、わからないながらもいくつか暗唱できるようになり、高校の古文の文法などは自然と身についていて、とても助かった覚えがあります。今も小説を書くときの、文章の基盤となっているかもしれません。 旧新約あわせたものだと5000円以上しますが、新約聖書と、旧約の至宝である「詩篇」が併せられた文語訳 小型新約聖書 詩篇附 は、リーズナブルで携帯にも便利です。 |
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コテコテ大阪弁訳「聖書」 最後に、関西弁の聖書を見つけました。 私も読んだことはありませんが、『イエスはんは言わはった。「ええか、耳かっぽじってよう聞けよ。…」』という感じの文章だということで、笑ってしまいます。 イエス自身、都の人々から蔑まれていた田舎のガリラヤ出身ですので、こういう方言を使った聖書翻訳の試みはおもしろいです。 ただし、載っているのは新約聖書の「マタイによる福音書」だけです。 |