このコラムは、「ブログコラムス」で「BUTAPENNのTIPS for American Life」というタイトルで連載していたものです。「ブログコラムス」が現在休止中なので、今までの5回分(掲載4回、未掲載1回)を再録していきます。
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第四回 「教会へ行こう!」
私がどこの国に行くときも必ず荷物の中に入れた一冊の本は、犬養道子氏の「日本人が外に出るとき」(中央公論社)だ。
その中に、日本人を海外に駐在員として派遣する会社の社長に、彼女が進言したことが書いてある。それは、「できうる限り赴任先の国の宗教に関心を持つ人を送れ」ということだった。「共通の土台はそのときすでに、あるていど作られる」からだ、というのだ。
これは旅行する人にとっても言えることだと思う。遺跡や王宮や美術館に行くのもいいが、その国の宗教施設を訪れることほどその国の理解に役立つことはないと思う。
仏教国のタイならば、観光名所の壮麗な金の仏像だけではなく、小さな寺院の裏にぐるっと回ってみるとよい。子どもたちの寺子屋らしき黒板や長椅子。タイ舞踊を練習している人。法要の行事の飾りつけをしている人たち。庭に寝そべる猫。宗教に根ざした毎日の生活がそこに見える。だから、アメリカという国を理解するには、キリスト教会に行くのがいちばんいい。
ただし、それぞれの慣習やタブーは守ること。バンコクがいくら暑いからと行って、タンクトップ・短パンで最も尊い王宮寺院を訪れてはならない。たとえ子どもであっても、上着と長ズボンに着替えなければ中には入れてもらえない。
教会では、たいていは日曜午前に行けば礼拝があるので、快く迎えてもらえる。クリスチャンでないと参加できない一部の儀式(たとえば聖餐式)もあるが、静かに見ていればいい。説教がまったくわからなくても大丈夫。信者でも半分しか聞いていないから。礼拝のあとに庭で催されるコーヒータイムでカップ片手に、抱きしめたりキスをし合う教会員同士の様子をそばで眺めるだけで、きっと古き良きアメリカの社会が見えるに違いない。
私たち一家はクリスチャンなので、アメリカに行ったら絶対に現地の教会に行くのだと決めていた。日本にはない、アメリカの良いところを吸収して帰るのだと意気込んでいた。
最初行ったところは、数百人の信者がいる大きな教会だった。大人数の聖歌隊、マイクを手にオーバーな身振りで説教する牧師。まるでショーを見ているようで圧倒された。しかし、そこは子どもが大人の礼拝に入ってはいけないという決まりがあり、英語がまったくわからないうちの息子たちは別室の教会学校に連れて行かれ、案の上、次の週から行くのをいやがった。
その次に訪れたのは、家から一番近い教会。メソジストと組合教会が混ざった正統的保守派の教会で、そこは前の教会とまったく違って、会衆はわずか2、30人ほど。牧師は静かな説教をする初老の男性だった。しかし、一番よかったのは子どもといっしょに座って礼拝ができること。牧師は床に座って、子どもたちを前に呼び、ひとりひとりの肩を抱きながらお話をした。私たちはアメリカ滞在中、その小さな教会にずっと集うことに決心した。
ただ問題もあった。私たち以外、教会員は全部白人だったのだ。
ロサンゼルス周辺の教会を見て一番驚いたのは、人種ごとに教会が分かれていることだ。日本人教会、中国人教会、韓国人教会、黒人教会、ヒスパニック教会、そして白人の教会という具合である。使う言語の違いが原因と思われるものもあるが、もちろんそうでない場合もある。アメリカ社会はたくさんの人種のるつぼではあるが、実際は地域も住み分け、教会さえも棲み分けているのだった。
少し話がそれるが、宗派ということに触れておきたいと思う。プロテスタントには宗派がたくさんあるが、互いに争ってそうなったわけではない。アメリカで言えば、もともとは各移民の人種や出身国でそうなった場合が多い。ある意味では、それは人間の性格の違いと似ている。人間にもまじめな性格やにぎやかな性格、外向的や内向的な性格があるが、それでも同じ人間であるように、宗派は違っても同じ聖書を信じている限り、理解しあえることが多い。宗派をひとつにしようという動きもあるが、これは性格の違う人間同士がつきあうようなもので、なかなか進まないことが多い。
このところ話題になったのは、アメリカでエヴァンジェリカル(福音派)と呼ばれる保守派が共和党の支持母体であり、イラク戦争に賛成しブッシュ大統領再選に大きな力を果たしたという事実だ。日本では福音派と言えば穏健で、政治にあまり関心を示さない人が多いのとは、かなり違う。彼らももともとはそうだったはずだ。違うのは、組織的な政治力を手に入れてしまったことである。
平和と和解を語るべきクリスチャンが戦争に賛成するというのは、私には信じられない。しかし、現代アメリカに限られず、しばしば歴史の中で行われてきたことだ。そこにある思想は結局、人間が中心であり、人間が正義と感じることが、即正義であるということ。だから、時代が変われば正義は変わる。イラクは悪魔の国だと思えば戦争に賛成し、悲惨な現実が報道されれば戦争に反対するのである。
本当に聖書が教えていることは、神のみが正義であり、神のみが人間を裁くことができるいうことである。キリストが語ったように、剣を取る人は剣によって滅びる。人間は正義をふりかざしたとき、もっとも凶悪な悪魔になりうる。
私たちの通い始めたその白人教会は、穏健で内向的な部類だったと思う。私たちは半ば意地になって通い続けたが、かなり長い間、名前を覚えてもらえなかった。それは、ことばの障壁のために雑談をするのも苦痛で、礼拝が終わると逃げ帰っていたからだ。やっとその教会の一員になれたと感じたのは、2年くらい経ってからであろうか。
けれど、その間に教会の中には少しずつ変革が始まっていた。以前集っていた黒人一家も、毎週姿を見せるようになった。日本人の家族がもう一組増えた。最初の牧師が引退したあと次に牧師をつとめたのは、台湾出身の中国系牧師だった。ロサンゼルスの日本人教会の牧師が週に一回招かれて、日本語の聖書研究を教会堂の一室で持つようになり、数人の日本人が定期的に集まるようになった。私たち一家がそのきっかけになったなどというつもりはない。それをさせたのは、減り続ける教会員に対する彼らの危機感であり、時代の要請だったのだろう。白人である彼らにとって、中国人の牧師を教師と仰ぐのはかなりの英断だったに違いない。でも、彼らはそれをやり遂げた。
私たちは4年のアメリカ滞在の特に後半、教会の集まりを通して、多くの人たちと心の触れ合いを経験できた。
バザーや家庭集会、スープとパンの夕食会。子どもの聖歌隊。老人ホームの慰問。彼らはことばの通じない異邦人である私たちのために心を砕き、抱きしめ合い、また互いのために祈り合った。
ある日、駐車場の清掃奉仕に参加したとき、もうひとりの当番の女性が私に言った。
「あなたが最初にこの教会に来たとき、私はあなたの英語が何ひとつわからなかったのよ。4年間の間に、あなたは本当に英語がうまくなったわ」
でも、実のところ、私の英語はそんなにうまくなっていなかったのだ。彼女が私の英語が理解できるようになったのは、私に興味を持ってくれるようになったからだ。私という日本人を理解しようと努力してくれたからだと思う。
あるクリスマス、白人の牧師は私に、折り紙の鶴の作り方を子どもたちに教えてくれるように頼んだ。
教会のクリスマスツリーを鶴で飾りたいのだという。そして、広島の原爆症で苦しんでいた少女が、千羽鶴を折って回復を願ったという話を読んだ、だから私たちも鶴を折ってクリスマスツリーに飾り、平和を祈りたいのだと言った。
恥ずかしいことに、私はそのときまで佐々木禎子さんのそのエピソードを知らなかった。
その年、教会の大きなツリーは、画用紙で折られた真っ白な千羽鶴でいっぱいになった。
日本に原爆を投下したのは戦争を終わらせるためであり正しいことだった、と信じるアメリカ人が多いと聞く。でも、少なくとも私の集ったあの小さな教会には、日本のことを知り、戦争の痛みを理解しようとしてくれたアメリカ人が確かにいたのだ。
【おことわり】 この情報は十年ほど前のものであり、現在は変わっている場合もあります。また、アメリカは州によって大きく事情が違うので、その点ご了承ください。